「反社」とは社会的位置づけが全く異なる「必要悪」の存在
そもそも当時の地域社会では、顔役とか親分衆とよばれる人たちは公然と社会の一翼を担っており、ある種の「必要悪」としてその存在が社会的に認知されていた。
現在のいわゆる「反社」とは社会的位置づけが全く異なっているのだ。利権のあるところには必ずそうした人々が関わっていた。彼らからすれば、公営競技は「バクチ」で「興行」だ。そもそも国や自治体が自分たちの「縄張り」に食い込んできたという感覚だったかもしれない。
『平成元年版警察白書』によると、「暴力団」という言葉が社会に定着したのは昭和30年代だという。第一次頂上作戦の頃だ。
第二次世界大戦前から存在する博徒や的(テキ)屋と、戦後の混乱期に発生した愚連隊を出発点とする組織の総称を白書では暴力団としている。暴力団という言葉には「堅気の」市民社会との切断が意図されている。暴力団の資金源には合法的なものもあれば非合法的なものもあり、合法的な企業活動を非合法的に牛耳ることもある。
公営競技についていえば、ノミ行為、コーチ屋(強引に客に予想を売りつける商売)、八百長レースなどは非合法の活動だし、予想屋などは合法な活動だ。合法な活動であっても、縄張りを主張し、ショバ代などの利権を手中に収めることもある。
日本中央競馬会は早くから場内の予想屋(場立ち予想屋)を締め出していた(ただし70年代後半には競馬場の外で営業していた)が、他の公営競技では現在も場立ち予想屋は存在する。
さすがに現在の場立ち予想屋は暴力団を含むいわゆる「反社」との関係はない。
中央競馬以外の主催・施行者は地元自治体だ。地域社会に深く根付いた暴力団と全く無縁でいられるわけはない。
とはいえ、暴力団に対する社会の目は厳しくなる。競技を円滑に運営するために地元の親分衆とは良好な関係はつくっておきたいが、行政が表だって彼らと接触することはできない。そこで民間組織を立ち上げ対応させるということもあった。