才能は学校内では阻害されるが、外では歓迎される矛盾
ところが、学校という枠組みから一歩外に出てしまえば、ずば抜けた能力を持つ子どもたちは一躍脚光を浴びる存在になる。スポーツや将棋、囲碁の世界では、定期的に天才が現れてはマスコミでもてはやされる。
その領域であればどれだけ伸びても、周囲の大人にたしなめられたり怒られたりすることがないからだ。
これらの入り口は多くの場合、習いごとなどのプライベートな出会いがきっかけとなるため、熱中できる子はリミットを解除してとことん打ち込めるだろう。凸凹をなるべく削ってならし、従順で管理しやすい子どもを「いい子」扱いする学校教育とは根本から異なっているのである。
人間の個性は8歳前後までにほぼ決まるといわれているが、それを考えるとやはり日本の教育制度は再考の余地があるだろう。
「自分で頭や体を動かすよりも、大人にいわれたことをやっているほうが楽」という思考が、小学校に入れば深いところにまでインストールされてしまうからだ。
少なくとも、現行の教育制度が強固に残っている限りは、日本人の自己家畜化の促進は避けられそうもない。
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文/池田清彦
写真/shutterstock












