ひとりになったときのさみしさは社会脳が働いているから

そこには、ひとりである状態を、「自分自身で選択したのかどうか」という点が大きく影響していると考えられます。

ソロ活の場合は、積極的にひとりになることを選んでいる意味合いが強いのですが、ぼっちは、「気づいたらそういう状況になってしまった」「本来はひとりで過ごすことを想定しておらず、むしろひとりでいたくないにもかかわらず、不本意ながらひとりでいることを強いられている」という、望ましくない状態をイメージさせるのではないかと思います。

また、自分自身に対して、ぼっちという言葉を使って卑下してしまう場合もあります。
例えば、さっきまでたくさんの友だちと騒いでいたのに、みんな帰ってしまいひとり自宅に取り残されてしまったとき。

あるいは、ふと「誰かと話したい」「誰かに会いたい」と思ったときにまわりに誰もいなかったり、連絡をしても誰も応答してくれなかったりしたときに、「ぼっちでさみしい」という感情になることもあるでしょう。

でも、人間は本来、24時間、四六時中誰かと過ごすことのほうが少ないはずで、誰しもひとりになる時間は必ずあります。そうであるにもかかわらず、「自分だけがひとりになってしまった」と感じて、ぼっちだと認識してしまう。

ひとりになってから、友だちと過ごしたり会話をしたりした楽しい時間を思い出したとき、その時間が失われただけでなく、つながりまでも失ったかのように感じてしまう。
そんな強いさみしさを感じる場合は、脳が「集団から排除されるかもしれない」「共同体を失うかもしれない」というアラートを作動させ、自身にストレスを与えているのかもしれません。脳がこうしたストレスを与えるのも、人の進化の過程では、集団や共同体から排除されないことがとても重要だったからです。

つまり、その状態は社会脳(脳の前頭葉にある、空気を読んだり相手の気持ちを推し量ったりする、他人とのコミュニケーションを司る機能)が正常に働いているともいえます。


ですが、さみしさを紛らわせるために、友だちやパートナーなどにしつこく連絡をしてしまうと、逆に疎ましく思われてしまうこともあるので気をつけたいものです。 
「さっきまで過ごした楽しい時間」が終わりを迎えても、友だちや共同体を失くしたわけではありません。しばらく会えなかったとしても、大事なつながりが消えてしまったわけではありません。

「わたしはひとりぼっちなのではないか?」という不安が湧いてきたら、「つながりは簡単には消えない」「ひとりの時間も大事」というメッセージを、ぜひ自分自身に届けてあげてください。

なぜ「ソロ活」は流行して「ぼっち」は嫌われるのか。友だちがいないのは寂しい人なのか? 脳科学者が紐解く「さみしさの正体」とは?_2