地域ごとに異なる縄文の造形
山下 僕と新くんとでもう一つ共通しているのは、無類の縄文好きなことだよね。
井浦 縄文は、地域ごとに造形が異なるので、絵師を追うのとは違う面白さがあります。
山下 一口に縄文時代と言っても一万年もあり多様です。十日町市博物館(新潟県)の火焰型土器のようなエネルギッシュなものもあれば、山梨県立考古博物館や釈迦堂遺跡博物館の水煙文土器に代表されるような曲線が連なる不思議な造形のものもある。縄文の遺跡は、仕事で行くことが多いですか?
井浦 ほとんどがプライベートです。北は北海道から南は沖縄まで行きました。この間は西表島で貝塚を見ました。
山下 西表島はさすがに僕も行っていない。負けたな〜。今回の本では山梨、長野、新潟の3県を縄文に充てています。僕の大好きな長野の茅野市尖石縄文考古館の土偶「仮面の女神」も取り上げました。
井浦 もし「縄文を最初に見るならどこに行ったらよいですか?」と聞かれたら、迷わず、茅野を薦めます。考古館には「縄文のビーナス」と「仮面の女神」という国宝の土偶が二体ありますし、隣接する遺跡も良いです。ここに川があるから住みやすかったんだとか、縄文人はあの山を大切にしていたのかとか、集落跡の地形を見ることで実感できます。現地に行かないと地形のことまではわかりません。
奄美の自然信仰を絵画化した田中一村
山下 旅といえば、田中一村(1908~77)も忘れてはいけません。一村こそ奄美大島に行かないとわからない。
井浦 奄美も何度も行った大好きな場所です。
山下 栃木県出身の一村は幼い頃より画才を発揮しましたが、中央画壇で認められず、50歳で単身奄美に移住します。紬工場で染色工として働きながら、奄美の自然をモチーフにした絵を人知れず描き続けました。死後、たまたまNHKのディレクターの目にとまり、『日曜美術館』に取り上げられたことで、一躍有名になりました。現地には、田中一村記念美術館が開館し、一村終焉の家も移築されて残っています。
井浦 奄美は本州とは異なる独特の自然が素晴らしいです。ドラマの撮影で、奄美大島やさらに南の加計呂麻島に長期滞在したときに、撮影の合間にあちこち回りました。縄文時代から連綿と続くアニミズムも色濃く残っています。
山下 奄美の沖合には、海からやってきた神様が立ち寄る「立神」と呼ばれる岩がいくつもあり、信仰の対象になっています。その立神と奄美の集落を結ぶ細い道は祭礼のときの神様の通り道です。一村の絵には、近景に奄美の草花、遠景に海と岩を描いたものが多いけど、それは神様が通る道から鬱蒼と茂った植物越しに立神を見た風景なんです。奄美の自然信仰が表現されています。
一村は、奄美に渡った当初は自分の絵を認めない中央画壇に対する復讐心を燃やしていたけど、現地の自然とアニミズム的な信仰に触れて、自分を認めてほしい気持ちが溶けていったんじゃないかな。最後の連作は「閻魔大王えの土産品」と記し、純粋に自分が納得する絵を残そうと考えていた。その矢先に誰にも看取られず、亡くなったんですけどね。
県立美術館も「この一点」を楽しめばいい
井浦 今回の本では県立美術館がたくさん紹介されていますが、あらためて振り返ると僕は県立美術館にあまり行っていないことに気づきました。その土地ゆかりの作家、作品を広く展示する幕の内弁当的なイメージがあるため、つい濃厚な鑑賞体験を求めて個人をテーマにした記念館などに行ってしまいます。県立美術館の楽しみ方を知りたいです。
山下 既に新くんは率先して「この一点への旅」をやってきているんだよ。県立美術館だって同じ。展示されているすべてを楽しもうと思わないで、「この一点」だけでもいいんですよ。
井浦 県立美術館であっても、絶対見ておきたい一点を目指して出かければいいんですね。
山下 もちろん、事前に何が展示されているかを調べる必要はあるけどね。目当てにする「この一点」を見つけるときに今回の本を使えばいいんじゃないかな。予め候補を決めて、展示されるタイミングで旅に出る、というのが基本です。
井浦 その上で旅に持っていってもいいですしね。これから先もまだまだ行きたい場所があると思うと楽しみになってきます。
山下 土地土地の美味しいものを目指して出かけるのと同じくらいの気軽さで、「この一点」が旅のきっかけになってくれれば嬉しいですね。
撮影/荒井拓雄 ヘアメイク/NEMOTO(HITOME) [井浦新氏] 取材/藤田麻希