“コギャル”たちのカリスマと『SWEET 19 BLUES』
でも現実は違ったのだろうか。
“女子高生”を掲げると援助交際やブルセラのレッテルを貼られ、大学生になったとしても就職氷河期が待っているだけの近い将来が、“女子高生”であることの特権をより意識させてしまう。
“カッコ良く大人っぽく見られたい”願望は日増しに高まるけど、心の中では“高校生の女の子”であることの現実を消すことはできない。
1996年にリリースされた安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』の最後を飾るタイトル曲は、そんな彼女たちの心境を描いていた。
もうすぐ大人ぶらずに 子供の武器も使える
いちばん 旬なとき
さみしさは昔よりも 真実味おびてきたね
でも明日は来る
…(中略)…
自分だけで精一杯 それでもそれなりに見える
タバコの煙をかきわけ音にうもれて
…(中略)…
世の中かっこつけてて それよりかっこよくなきゃいけない
もし飛び出るんだったら...
昨日はあの子が私の 明日は私があの子の
傷をいやして
SWEET,SWEET 19 BLUES
だけど私もほんとはすごくないから
SWEET,SWEET 19 BLUES
誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない
作詞:TETSUYA KOMURO
作曲:TETSUYA KOMURO
この曲は、街の大人たちや学校の教師、企業の商品開発やマスメディアの報道といった毎日あらゆる方向から浴びせられるただならぬ視線の中で、世間が描いた架空の“女子高生”像に行き詰まる16才や、それを演じて歪んだ毎日を余儀なくされる17才の少女たちの心を打った。
プロデューサーは時代がどの世代の手の中にあるのか知っていたに違いない。
当時18才という若さでスターの頂点にいた安室奈美恵にとっても、この歌は特別な作品だったことだろう。
結果的にこのアルバムは300万枚以上を売った。そして、ティーンエイジ・シンフォニーの金字塔とでも言うべき『CAN YOU CELEBRATE?』が登場するのは、翌年2月のことだ。
これほどまでに、世代と音楽が“同じ風景の中”で呼吸していた時代はない。
文/中野充浩
*本コラムは『うたのチカラ JASRACリアルカウントと日本の音楽の未来』収録の「コギャルの時代に奏でられたティーンエイジ・シンフォニー」(中野充浩著)を再構築し、2017年9月21日に公開されたものを一部再構成した














