「うつ病」男性は、本当にうつ病だったのか

伊藤正樹(いとうまさき)さん(48歳)は、うつ病と診断されている。その経過は、とても長い。

彼がうつ病と最初に診断されたのは、働き盛りだった28歳のときだった。それから40歳、45歳と、それぞれうつ病で倒れている。再発を繰り返していた。

45歳のときの3度目のうつ病をきっかけにして、生活保護を受けることになった。

長年、通院し続けていても回復していかないうつ病に対して、「治療の仕方を変えたほうがいいんじゃないか?」と担当ケースワーカーが彼に話した。彼も同じように思っていたようだ。

うつ病がなかなかよくなっていかない場合、どこかに重大な見落としがあるはずだ。

彼がやってきた初回のカウンセリングで、私は彼の症状がどこからくるものなのか、なにか見落としているものはないか、などを念頭に置きながら成育歴を慎重に聞きとった。

次第にわかってきたことは、家族関係を細かく聞きとらなければ見えてこなかっただろう「隠された事情」だった。

うつ病と診断されたものの、抗うつ薬がほとんど効かず、心理療法も効果なし…48歳男性の治らないうつ病に「隠された事情」とは?_2

治らないうつ病に「隠された事情」

伊藤さんは、父親、継母、継母の連れ子である弟との4人家族だった。父親の話によると、実母は彼が1歳のころに出て行ってしまったらしい。だから、実母の顔を知らなかった。

父親は小さな町工場を経営していた。従業員の雇用のために、よく働いていた。零細企業の下請けだった。その工場の会計を担当していたのが、継母だった。

継母は、変わった人だった。

「多分、僕のことはあんまり好きじゃなかったんだと思います。血がつながっていないですし」

彼は、やんわりと、意味ありげに継母との関係になにかあったことを匂わせた。

私は、なぜ継母が彼のことを好きではないと思ったのかを聞いた。

「いつも、僕と弟には扱いの差がありました。ご飯がないとか、物を買ってもらえないとか、そういうのはないですけど。態度が違うというか、とにかく、弟のことはかわいがっていました」

継母は血のつながっていない彼と、血のつながっている弟とのあいだで、あきらかな差をしていた。たとえば、学校のテストでいい点数がとれると、弟にはご褒美で好きなおもちゃを買い与えたり、外食に連れて行くなどしていたりしたが、彼にはない。真新しいおもちゃを手にして遊ぶ弟を、彼は見ていた。

食事の時間も、食事をとる場所も、彼だけ別だった。継母と弟は、たくさんの料理を食べた。テレビを観ながら食卓を囲んでいた。その一方で彼は、ふたりが食べ終わるまで待たされていた。継母と弟の食べ残しが彼の食事だった。おかわりは禁止されていた。すべては、父親が不在のときに行われていた。