あおり運転で怒鳴りあいのケンカしていたヤクザ時代

肩で風を切って歩いていたヤクザが、カタギになったとたんに人にペコペコして働かなければならない。これは、ヤクザをやめた人がみなぶち当たるハードルだろう。このハードルを乗り越えられずに、ヤクザに舞い戻ってしまったケースをたくさんみてきた。

ヤクザは自分のことを「えらい」と勘違いして生きている。そうじゃなければヤクザ稼業は成り立たないのだ。

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ヤクザ時代の諸橋さん

「誰にもの言ってんだよ!」というヤクザの決まり文句、これはかなり高い自尊心がなければ口から出てこない。人から軽んじられるようなことがあれば暴力的言動をもって自分と組織の権威を高めろ、そう教育されているのだ。

僕は、ヤクザにしてはそれほど粗暴な性格ではなかったと思う。そんな僕でも、ヤクザのときは、後ろからクラクションを鳴らされれば勢いよく車から降りていって相手を怒鳴りちらしていた。周りにいた人たちも僕を軽んじるようなことはまずなかったし、僕は親分のカバン持ちだったからヤクザの中でも立ててもらっていたほうだ。

僕は、ご多分に漏れず、「自分はえらい」と勘違いしていた。

実家での生活を始めてからすぐ、運転中のトラブルで怒鳴りあいのケンカが2回くらいあった。自分からケンカを売ったことはないが、相手があおってきたときに目をそらせなかったし、文句を言われたときに「すみません」と言えなかった。

執行猶予中だというのがブレーキになって殴り合いにまでならなかったけど、一般のお兄ちゃんにケンカを売られても手を出さないで我慢するというのはなかなかにつらいものがあった。一般の人からしたら、当たり前のことだろう。ケンカを売られても買わない。これがヤクザを辞めたばかりの人間にはとても難しいのだ。