日本語は「あなた」ではなく「みんな」に話していると感じる
岩城 人称の話でいうと、日本語はどこか二人称と三人称が混ざっているような気がして仕方がないんです。今、金原さんと私はYou and Iなんですが、金原さんのYouのなかにはTheyも入っている感じがする。個人的な話をしているはずなのに、どこかパブリックな話にも聞こえてきて。
金原 英語のときにはないんですか?
岩城 ないですね。Youは絶対に私だけにYouとして話しています。日本語だと、Youと話しているつもりが世間一般のYouになって、皆さんと話している気がしてくる。そこに、個人的な意見の尊重より「和をもって貴しとなす」という意識が入っているのかなと、変な感覚になります。日本語でしか起こらない特殊な現象ですが。
金原 へー! それは面白いですね。英語では普通、相手が誰かわからないときにはYouと呼ばない、という決まりがありますよね。IとYouの関係が成り立つのは、お互いに相手のことを認識して初めてIとYouになる。それと似ていますか?
岩城 似ています。ところが、日本語になると「金原さん」と呼んでいるにもかかわらず、「金原さん」のなかにもたくさんの他人が入っている感じがするんです。これが、金原さんと私が英語で話していたらその現象は起こらない。たぶん、すでにYouは誰なのかを自分の中で決めているんですよ。さっきの例でいうと、日本のお医者さんって見るからにもうYouが離れていてTheyが入っている感じです。
金原 “先生”になっちゃうんですね。なるほど。そういう感覚は、オーストラリアに行って何年目くらいから感じるようになったんですか。
岩城 移住してからだから、20年以上前。あるいは、向こうのお友達が増えてからかもしれません。
金原 それはじっくり考えたくなる問題です。たとえば「てめえ、何してやがんだ!」というときの「てめえ」はもともと「てまえ」であり、相手ではなく自分を指す言葉ですよね。一人称の二人称的用法というか。日本語の一人称と二人称にはそういう広がりがある。それに関して、橋本治が日本語の一人称と二人称には区別がない、という言い方をしています。
それにしても、その感じ方は興味深いです。
岩城 小説を書いていても、一人称を決めるときが一番難しい。マサトの場合、たぶんマサト本人は「僕」という漢字を書けないと思うんです。かといって『Masato』の作中みたいに「ぼく」と平仮名にしたら幼稚だし、結局「僕」にしましたけど、本人が書けないのにいいのかととても悩みました。
金原 なるほど。それとは少し違うのですが、最近の小説だと、ジェンダーにとらわれない人はTheyという人称代名詞を使う場合が増えてきました。このTheyは訳せる場合とそうでない場合があります。誰かわかればいいというなら、その人の名前を使えば訳せます。アメリカに留学して帰ってきた学生に聞くと、向こうの大学で10人ほどのクラスに入ると、三人称で呼ばれるときにHe、She、Theyなど、どれで呼ばれたいかをとりあえず書かされるそうです。
岩城 それはよく聞く話です。私も自分ではShe/Herと言っています。娘が大学の寮に入るときに、部屋の前に自己紹介の紙を1週間ほど貼る慣習があって、そこにShe/Herと書いたと言っていました。隣の子はTheyで、みんな最初にはっきりと明言するそうです。
金原 なるほど。ますます翻訳するのは難しい。たとえば『鬼滅の刃』は、作者が性別を明確にしていないこともあり英訳に手こずった、という話を面白く聞きました。英語は特にその時々の社会現象が反映されるので、難しいです。
岩城 それはきっと英語だけじゃないですよね。
金原 今はフランス語でも、議論が活発になっているみたいですよ。そもそも名詞に性差があるから、英語が性差を消すのに対して、逆に両方の性を必ず言う方向だとか。
YAたちにも読んでほしいアンドウマサトシリーズ
岩城 このシリーズはありがたいことに日本で学校教材としてよく取り上げられます。私は若い人に向けて書いているつもりはなかったのですが、入試問題などに使われることが増えていて。2017年に『Masato』が坪田譲治文学賞を受賞しましたが、坪田賞は主に児童文学に贈られる賞だったので、選考でも、この作品がいわゆる「子どものための文学」ではないことがネックになったらしいんです。でも、選考委員の阿川佐和子さんが贈賞式で、「この小説は子ども向けに書いていないところがいい」とおっしゃってくださいました。金原さんが日本に数多くご紹介くださったYA文学というジャンルには、こういう作品も含まれるのでしょうか。
金原 坪田賞というと、2022年に受賞した乗代雄介さんの小説『旅する練習』もその点で議論が起こったと聞きました。たぶん子どもやYA向けに書いた作品ではないんでしょうけど、やはり読んで面白いと思うのは若い人じゃないかな。だから岩城さんの『さようなら、オレンジ』から始まって、『Masato』から『M』に至るシリーズも、面白く読んでくれるのはYAの若い世代だと思います。そしてその人たちの中に強烈に残る。そういう体験をした読者は、その後も本を読み続けてくれるはずなんですよ。
岩城 そうであれば嬉しいです。
金原 若い頃に体験する苦しさを乗り越えていくとき精神的な支えになるのは、スポーツや音楽、映画などいろいろあって、人によって違いますが、僕は本でした。だから、本当は本好きのはずなのに本の楽しさを知らないままで老いていく人がいるともったいない気がするから、若い人にできるだけ本の面白さを伝えたい。それにはYAしかないだろうと思っています。
僕が昔聞いた話ですが、1970年代にアメリカン・ライブラリー・アソシエイション(ALA)というアメリカの図書館の大きな組織が、成人以降も本を読む習慣のある人は、その習慣がいつ頃ついたのかという大きな調査をしたそうです。結果は中高生から大学生の頃という人が圧倒的に多かった。そこで慌てたのが図書館です。児童室はあるし、一般向けの本は並んでいるけれど、その中間の本がないんです。そこでYA室とかYAコーナーを設けようという機運が高まったという。それを裏付ける資料は見たことがないから、真偽のほどはわからないんですけどね。70年代にアメリカでYAカルチャーが盛り上がり始めたのは、そういう背景もあるのかなと。読者はたくさんいたのに、出版業界や図書館はまだそれに追いついていなかった、ということです。
岩城 日常で目に触れる環境というのも大事ですよね。そうであれば、『Masato』が試験問題で読まれるのも光栄なことだと思います。どしどし使っていただきたい。
金原 参考書やドリル、試験問題に出ていると、生徒や学生の記憶に残りますし、読んでみたくなるんですよ。またそれによって図書館や学校の図書室、教室にも本が置かれやすくなる。そういう場所に長く置かれてほしい作品ですよね。
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