日本とオーストラリアの教育の違い

――作中で交わされる真人とアビーの議論は、日本の大学生に比べるとかなりしっかりしていて、大人びているなと感じました。環境問題しかり表現の問題しかり、二人とも自分の意見をしっかりと持っています。

小島 それはやはり、日本とオーストラリアの教育の違いじゃないでしょうか。息子たちは小学校五年生と二年生までは日本の公立小学校に通っていたのですが、オーストラリアの小学校に通い始めてから、長男が「先生に『君はどう思うの?』と聞かれたとき、なんて言えばいい?」と困っていたんですね。つまり日本の公立小学校では、「自由に意見を言いましょう」と先生が言ったとき、本当は自由に意見を言うことは求められていなくて、先生が想定している自由の範囲内で意見を言うことが求められるでしょう(笑)。
岩城 (笑)。本当にそうですね。
小島 私と夫は、長男に「差別や暴言はダメだけど、それ以外であれば君が考えていることを本当に自由に言っていいんだよ」と伝えました。「信じられないかもしれないけれど、本当に君の思ったことを言っていいんだ」って(笑)。長男はすごく驚いていました。やがてそのやり方に慣れて、本当にのびのびと自分を開いていくのがわかりました。たまたまですが、息子たちにはオーストラリア式の教育がすごく合っていたみたいです。
岩城 うちの娘も、四歳の時に二ヶ月ほど日本の幼稚園にお世話になったことがあるんです。その後、日本の幼稚園からオーストラリアのキンダーガーテン(幼稚園)に移った時は、ちょっとした試練でした……。帰り際に先生から、「彼女はずっと私の顔を見て、指示を待っている」「何をしたいかちゃんと自分で決めて遊ぶように言っているんだけど」と言われるんです。一度日本の幼稚園に慣れてしまうと、みんなで先生の言うことを聞くのが心地よく思えてしまう。だから彼女は最初オーストラリア式が辛かったみたいで。キンダーガーテンって、帰るときに先生が一人一人に「今日は何をしましたか。何が楽しかったですか。どんな気持ちでしたか」と聞くんですよ。彼女はそれに答えられなかった。
小島 もちろん子どもとの相性もありますし、日本の教育が全部だめで、オーストラリアは理想郷、と単純化するべきではないですが。でも本当に、日本とオーストラリアの教育の違いを感じますよね。
岩城 小学生になるともっと顕著ですよね。「show and tell」といって、「自分が週末に何をしたか教えてください」「プレゼンしてください」「授業で手を挙げて、意見を言ってください」という場面があります。意見や考えは人それぞれだから、内容にはマルもバツもない。でも、それを皆の前で言えるかどうかが問題になってくる。
小島 オーストラリアでは、小学校の段階からパワーポイントを使っての発表が基礎的な学習に入っていますよね。パワーポイントを作る能力とプレゼン能力は基礎学力とされている。
岩城 そうそう。ハイスクールになると、何を考えているのか意見をはっきり表明しなければいけないんです。たとえば数学でも、どうしてその考えに至ったのかをちゃんと記述しないとバツになってしまう。なぜあなたがそう考えたのかを表明しなさいという教育の在り方が、日本とオーストラリアの大きな差かもしれません。
小島 私がオーストラリアですごくいいなと思うのは、テストの結果に納得がいかないと先生と点数の交渉ができることですね。先生と交渉して先生が納得すれば、何点か上がるんですよ。そういうことが中学生のときから可能なのです。「自分より立場が上の人間に対してノーを言う」「自分の意見を言って交渉する」、それが習慣化されるってすごく重要なことですよね。これも日本でこれをやるとしたら、必要なのは先生側の覚悟……大人がその対話をできるかどうか、だと思いますが。
岩城 あと、オーストラリアでは大学で、自分と違う意見を踏まえたエッセイライティングを学びます。様々な立場の意見を全部総合した上での、自分の意見を表明する技術を習得する。反対意見ともディベートし対話したうえで、自分の意見をつくることが求められる。そういう教育を経ているから、日本の大学生よりも、真人やアビーは少し大人びて見えるのではないでしょうか。

――真人のルームメイトのゼイドなどは、デモを行い政治的な意見をはっきり表明しています。

岩城 政治に関しては、オーストラリアで市民権を持つ人間は選挙は義務で、絶対に選挙へ行かなきゃいけないんです。だからみんな選挙や政治にも関心が高い。若い世代は、誰に入れるか誰に入れないかをSNSで意見表明しているようです。
小島 政治に関して私が驚いたのは、子どもが学校を休んでデモに参加することもOKだということです。たとえば、前政権が地球温暖化対策に消極的だったことに対して子どもたちが怒り、デモをしていたのですが、その時に息子の学校から「授業を休んでデモへ行くときには、親の許可をとって、先生にも連絡をください」と言われて。え、デモ参加のために授業休んでもいいんだ? って。日本では高校生が政治的な活動をすることを否定的に捉える学校もあるのに、随分違うなと驚きました。そのときには、公共放送系の番組のインタビューで、デモに参加した子どもたちが首相に対する批判を述べていました。子どもがなにか言ったときにメディアがどのように報じるか、そこが重要だなと。日本とオーストラリアでは、大人が子どもの意見をどのように扱うかが、全然違います。
岩城 これも大人側の問題ですね。
小島 本当に。子どもに意見の表明を求める教育って、教師や親の側にも覚悟が必要ですよね。受け入れ難いものでも受けとめ、あなたはそう考えるのだね、それはなぜ? と対話を重ねて、意見を尊重する態度を見せる。「自由を許す側の責任」を大人が自覚するところから始めないと、日本で子どもの意見を尊重する教育、あるいは個の意見をのびのびと言えるような社会は作り得ないと思います。

家族がマイノリティになること

小島 真人を見ていると、今後自分の息子たちがオーストラリアに渡ったことをどう評価するか、分からないなあと思います。でも私としては、息子たちがオーストラリアに住んでいて良かったと思うことがあって。それは、「移民の親は弱くなる」ということです。まさに真人が、お父さんやお母さんとの間で繰り返し経験することなんですが。
岩城 そうそう。分かります。
小島 日本では私はテレビに出る仕事をしていて、夫も大きなテレビ番組に関わるディレクターの仕事をしていました。さらに日本においては、息子たちはジェンダーや人種など多くの面で社会のマジョリティとして育ってきた。加えて「お前のお母さん、ゆうべテレビに出ていたよ」などと言われて、彼らは素朴に親を「すごい人」として捉えてしまうところもあったんですよね。それは幼い子どもらしい、自然な気持ちでもあるのですが。ところが、オーストラリアに行ったら、私も夫もバイリンガルではないので英語がなかなか通じない。
岩城 親が言語的弱者になるんですね。
小島 そうなんです。ちなみに私は、不完全な英語でも最終的に念で通じさせるので、マイ・イングリッシュ・イズ・ネングリッシュです(笑)。
岩城 念!(笑)。
小島 はい、念です(笑)。息子たちは親がいいかげんな英語をしゃべっていることに、次第に気づいていくわけです。そして小学生のときから親の通訳をやらされる。真人がお父さんに「俺が代わりに交渉してやったじゃん」と言うシーンがありますが、まさにそういう場面がよくあった。でも、だからこそ「親は無力なんだ」と気づけるんですよね。親が社会の中で弱者である体験をすることは、子どもにとってはいい教育でした。もちろん、そんな吞気なことを言えるのは、日本で恵まれていたからこそではあるのですが。いずれにしろ、一・五世や二世の子たちは、自分のほうが親よりもできるという経験をせざるを得ない。早期の親殺しです。しんどいことではあるのですが……でも親殺しって、早晩どこかでしなくてはいけないことですから。
岩城 うちもそうでした。移民の親を持つ子どもって、普通と異なるアクセントを持った人に対してすごく優しいんですよね。言葉が違う人に「お手伝いしましょうか」と言うことができる。
小島 親を通じて多文化社会での弱者が可視化されるんですよね。岩城さんがおっしゃった言語弱者への優しさや共感、こういう苦労があるだろうなという想像力が働く。多文化共生社会で生きていく上ではとても大切な能力です。
岩城 大事なことですよね。みんな簡単に「思いやりが大切です」と言うけれど、やっぱり弱者が目の前にいないと、あるいは自分がつらい目に遭わないと、なかなか共感もできないものです。ましてやそれを表現することもできない。そういう意味ではうちも親殺しが早くてよかった。
小島 本当にそうですね(笑)。
岩城 うちなんてもう、子どもからはリスペクトも何もありません(笑)。電話のとき「うちのオカンは英語がだめだから」と友達に大きな声で言っていて……。
小島 でも、そうやって親のことを友達に言えるって、とても尊いことですよ。親のことを恥じていたら言えないですものね。英語がだめなことと彼女の偉大さ素晴らしさは関係ない、そう思っていないと「うちのお母さん英語だめだから」なんて言えませんよ。
岩城 相手の英語が聞きとりづらいとわかっているからこそ、相手を助ける。多文化社会って、それが当然の国のことなんですよね。
小島 本当にそうです。私、もともと岩城さんのデビュー作『さようなら、オレンジ』をちょうどオーストラリアに移住するタイミングで拝読していたんです。今もやっぱり、主人公のサリマの心境が人ごととは思えなくて……。私がもしオーストラリアで働くとしたら、日本でのキャリアは何にも役に立たないので、「サリマは私だ」という気持ちなんです。岩城さんとはいつかお話ししたいと思っていたので、今日は本当にお話しできてよかった。そして、サリマのその後が読みたいです!
岩城 みんなそれ言うんですよねえ、小島さん、続きを書いてくださいよ(笑)。
小島 ええーっ!(笑)。まずはメッセンジャーでお友達になりましょう! よろしくお願いいたします。

(2023・6・19 Zoomにて収録)

「すばる」2023年9月号転載

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