売れていく仲間と、くすぶる自分
ショーパブで切磋琢磨していた若手たちは着実に売れていった。ビューティーこくぶ、ダブルネーム、ミラクルひかるといったメンバーは、フジテレビのモノマネ特番のレギュラーになっていた。年に3回の特番かもしれないが、テレビの影響力は現在の比ではない。
テレビで露出するたび、営業は増えていく。仲が良かったヤツらがテレビで活躍する姿は頼もしかったが、ライバルたちはバイトをしなくていいほど稼ぐようになっていた。
一方、俺とオードリーのふたりは相変わらずパッとしなかった。深夜番組には呼ばれても、売れるにはほど遠い状況だ。のちに聞いたのだが、若林は売れないことが苦しくて、この世界を辞めようと思っていたらしい。
若林はオールナイトニッポンでこんな話をしている。
「売れたあとに高級料理をご馳走になるより、あの食えなかった時代に奢ってくれた牛丼のほうが記憶に残っている」
「20代後半なんてまだまだこれからだ」と売れてないのにポジティブなことばかりいう俺が、すこしは彼の励みになっていたのだろうか。
あの頃は、来る日も来る日もネタ作りに励んでいた。
見た目がホストっぽいからホスト風コント。見た目が昭和のバブルっぽいからバブルテレフォンショッピング。歌舞伎町のキャッチの兄ちゃん風コント……などなど自分に合ったキャラ設定のネタを考えていたが、ある時気がついてしまった。
「これって俺じゃなくてもいいんじゃないか」
自分でなければ面白くできないネタはないだろうか。そんな時に、ハッと思いついた。そう、躰道だ。俺しかできないし、俺じゃないと面白くならない。何より、他にやってる人がいない。躰道の型をやりながら、しょうもない日常のあるあるを言ったらどうだろう。
さっそく、ライブなどでこのネタをかけると、芸人仲間が「面白いね!」と声をかけてくれた。多くの芸人を育ててきたブッチャーブラザーズのぶっちゃあさんが「オモロいなぁ!」と言ってくれたのがうれしかった。