伝説を証明する手順が発見されるも…
1582年6月20日(旧暦天正10年6月1日)、本能寺の変前日の対局とされる棋譜は以下である。
白:本因坊算砂 黒:利玄
棋譜は白128手までで止まっていて、以下不明となっている。昔の棋譜は100手前後で止めて、最後まで記録されていないケースが多い。
この棋譜にはコウはどこにもなく、「このあとも三コウになる可能性がない。右下の白は生きており、事実上128手完、白中押し勝ち。三コウ無勝負は俗説である」という解釈が少なくともここ100年の定説となっていた。
これでは、本能寺の変前夜の逸話も棋譜も状況もまったくの作り物。「三コウ=不吉」という言い伝えもウソということになってしまう。
ところが、これを覆すような説が近年、発見された。
桑本晋平七段が久しぶりに上記の棋譜を並べたところ、右下は生きている(もう手段がない)と言われていたが、両コウ(コウをふたつ)にする手段を見つけたのだ。
こうなると、あと1ヶ所コウができれば逸話を再現できる……と思い、研究を進めていたところ、ある日突然、ひらめいた。
この図は、桑本七段が見つけた三コウにする手順だ。
黒1から白8までで、右下にコウがふたつでき、さらに右上で黒17、白28のところにもうひとつコウができて、「三コウ」の完成である。
「このまま死んだら後悔する。せっかく発見したのだから世に出さないと」(桑本七段)
複数の棋士に自分の説を確認し、「必然性があり、三コウになる」「間違いはない」とお墨付きを得て発表するも、大きな話題にはならなかった。
「何百年に一度の発見なのに、プロですらあまり興味を示さなくて……」と、がっかりの桑本七段だが、「何もなければ伝説に残っていないはず。また何年かして、新しい資料が出てくれば、この説の裏づけができるかも」と期待する。
後づけの逸話、と片づけることは簡単だが、それでも「そうであってほしい」と願い、それを証明するために研究を重ねる人がいる。
なんともロマンのある話ではないか。
取材・文/内藤由起子
集英社オンライン編集部ニュース班