「あれは挫折でした」選抜クラスの廃止
ふだんの授業風景も見学した。教室の中央に、数台のモニターが置かれている。それを囲むように机とイスが並び、10人ほどの生徒が座っている。年齢層は、小学生から20代前半の学生まで様々だ。この日は教員が「生態系」をテーマに講義をしていた。
この集団授業に加わらず、教室の隅でパソコンに向かってゲームをつくる小学生や、色鉛筆で黙々と恐竜の絵を描く男子学生もいる。JRの時刻表を片手に、将来行きたい旅行計画を綿密に立てる学生もいる。スマホを片手に歌を歌ったり踊ったりする生徒や、別室で整体を学んでいる生徒もいる。
無秩序な部分もあるにはあるが、個々が好きなことに取り組んでいると、それなりに一定の秩序は保たれるのだなと、新鮮に映った。
「集団授業を受けるか、自分が興味のあるプロジェクトに取り組むか、基本的に自分たちで決めて取り組んでもらっています」と石川さん。そして、気になることを言った。
「実は、今はギフテッドの子だけを集めたクラスは設けていません」
どういうことだろうか。たしかに、高IQの生徒や、突出した才能がある子だけがいるわけではなさそうだ。コミュニケーションが難しそうな生徒もたくさんいる。
「以前は、『アカデミックギフテッドクラス』を設け、IQの高さを基準に才能のある子どもだけに特化した教育もしていましたが、やめたんです。今は子どもたちを区分けすることはしていません」
たしかに、学園のパンフレットの「ギフテッド・2E対応クラス」の説明には、「才能識別によらないすべての困り感を抱えた特異な子どもたちへの特別支援教育」とある。
ギフテッドや、障害も併せ持つ2Eの子どもたちを選抜して特別な教育を行っていると思っていたが、特別支援教育ということは障害者への支援に切り替えたのだろうか。「才能識別によらない」のであれば、果たして子どもたちはどういう基準で入園し、どんな授業を受けているのだろうか。疑問が湧いた。
「あれは私たちの挫折でした」。補足して説明してくれたのは、学園長の伊藤寛晃さんだ。
「挫折とまで言ってしまうのはなぜ?」と尋ねると、こう言った。
「私たちはもともと、障害者への差別をなくそうと闘ってきたはずでした。2015年から海外事例を参考にギフテッドを支援しようと特別クラスを設けたのですが、結果的に私たち自身が子どもたちに差別意識をつくってしまいました。失敗でした」
差別意識?メモを取る手が止まった。そんな重々しい答えが返ってくるとは、予想していなかった。