震災と原発事故
ジブリは1990年代中盤以降、ほぼ2年に1本のペースで作品を発表してきたが、『コクリコ坂から』と前作『借りぐらしのアリエッティ』は久々の2年連続での長編制作・公開だった。
そのためもあってスケジュールはタイトだったが、キャラクターデザインの近藤と作画監督5名の計6名、美術監督4名、色指定2名、動画検査と動画検査補が計4名と、メインスタッフにいつも以上のスタッフを配置するなどして、スタジオの力を結集して制作作業は進められた。
西ジブリを一年前倒しして撤収し、2010年8月に小金井のスタジオに合流した二十数名、同年4月に新人採用で入社した十数名の若いスタッフも力になった。
しかし、制作が追い込み中の2011年3月11日、東日本大震災が発生。原発事故も引き起こされた。スタジオに目立った被害はなかったが、当日、交通機関が止まり二十数名が帰宅できなくなったため、社内で炊き出しを行い社内保育園に宿泊した。
ちなみにジブリ美術館でも180人以上の来館者が帰れなくなり、その晩は館内で一泊してもらっている。スタジオでは、こういう時こそ仕事を続けるべきだ、我々にできることは映画を作ることだという宮﨑駿の意向により、あまり日をおかず作業を再開。
しかし3月13日に計画停電実施が発表され、日中は停電になる可能性が出てきたため、コンピューターのサーバーをその間止めざるをえず、仕上げ・撮影のデジタルの部門は夜勤シフトを敷く変則的な対応をしばらく強いられた。結局停電はなかったが、震災と原発事故はただでさえ厳しいスケジュールをさらに圧迫した。
当時の状況を鈴木は次のように語っている。
原発事故の影響で計画停電も行われて、現場をどうするかが大問題になった。吾朗くんからは、「とりあえず三日間は休みにしましょう」という提案がありました。制作進行を考えると厳しい面がありますが、状況を考え、僕もやむなしと判断しました。
ところが、それを知った宮さんが怒ってしまった。
「生産現場は離れちゃだめだよ! 封切りは変えられないんだから、多少無理してでもやるべし。こういうときこそ神話を作んなきゃいけないんですよ」
宮さんの言うことも分かります。高畑、宮﨑の時代はそれでよかったのかもしれない。でも、いまの時代にそれをやろうとしたら、いろんな支障が起こる。とくに、昔と今では家族のありかた、子どもを育てる環境があまりにも違う。だから、僕は一定の休みは必要だと思ったんです。だから、出られる人は出る。出られない人は家のことをちゃんとやる。そういう曖昧な結論にしました。(『天才の思考』)
そんな状況下、阪神・淡路大震災の時と同様に、スタッフの中で活動可能な有志が被災地へボランティアに向かっており、『コクリコ坂から』完成後の7月には40名以上のスタッフが現地入りをし、会社もそれを支援した。
責任編集/鈴木敏夫