江戸時代の日本橋にゴッホが耳を押さえて立っている――それ、ゴッホって実際に自分の耳を切っちゃうんですよ。ゴッホってすごい人でしょ? 天才なんだけど身内にいてほしくないというかね。尊敬するけれども一緒に酒を飲みたくないっていう。
何故そうなのかというと、ゴッホって好きになった女性の家までストーカーするんですよ。あまりにしつこいんで、当然ですが家の人が「うちの娘につきまとうんじゃねぇよ」と言って会わせないんです。そうするとゴッホはご両親が出てきた時、自分で持ってきた蠟燭の炎の上に手をかざして「我慢出来る時間だけでも会わせてください」って言うんですよ。
近くにゴッホがいたら嫌でしょ? その「ゴッホが日本橋にいるんです」とおっしゃるんです。いいシーンでしょ? イメージは勿論、見開きを使った大ゴマでしょ。谷口さんだったら日本橋の武士やら町人やら飴売りやら商人やら、人がちょろちょろ行き来しているところもかなり細かくお描きになって、もうそのファーストシーンだけでも見たいじゃないですか。
「えー、描いてくださいよ」と言ったら「いや、この後のストーリーをどうするかが浮かばないんだよ」と。ホントにファーストシーンしか頭にないとおっしゃるんです。そこで俺がやりますよ! と言わなきゃ男じゃないでしょ? 僕は言いましたよ。「やりますよ、それやらしてくださいよ」と。
更に話していたら、谷口さんが萩尾望都さんの原作で漫画を描くことにもなっているとおっしゃるんです。『ポーの一族』(1972年〜)の萩尾望都さんですね。「だったらそのゴッホの話は是非、萩尾さんでやってくださいよ」とお伝えしたんです。それは僕がしゃしゃり出るよりは萩尾さんで読みたいじゃないですか。「それは萩尾さんがいいんじゃないですか?」と伺うと「出版社との話では、萩尾さんとやるってことにはなってるんだけど、どの原作でどうするかなどの話は何にもしてないんだよ」と。
ここで、先ほどの佐藤監督の役を僕はやらなきゃと思って、「じゃあ萩尾さんに僕、言いますよ」とね。
そして萩尾さんに会った時に「そのゴッホ話でどうですか?」と伺ったら「面白い!」と。そして片方の拳を握って「やります!」とおっしゃるわけですよ。
勿論それは後日、谷口さんにもお伝えしたんですが、お二人がお忙しかったからなのか、それがいつどこでどうなったのかは全然分からないまんまで、今となってはもうちょっとお節介すれば良かったかなぁと思ってますね。
本当に残念だったなぁ〜読みたかったなぁ。でもまぁいずれあの世があれば、行けばいますから(笑)。次の世界があるなら谷口さんはそこで必ず漫画を描いているので、「谷口さん、ちょっと遅ればせながら来たんですけれど、新しい漫画描いていたら見せてくんない?」って言おうと思ってるんです(笑)。萩尾さんにはもうちょっと頑張ってもらって私より後に来ていただいて、萩尾さんも来たら「こっちでやりましょうよ」とお伝えすればいいので(笑)。
『神々の山嶺』の、このラストシーン直前の、このシーン(※5)をご覧ください。
イギリスの登山家であるジョージ・マロリー(1924年6月の第3次遠征から75年後の1999年5月1日、エヴェレスト北壁の標高8156メートルの地点で国際探索隊で登山家のコンラッド・アンカーが凍った遺体を発見。同行したアンドリュー・アーヴィンの遺体は見つかっていない)が笑顔でピッケルを持ち上げているシーンなんですけれども、これは僕の小説にはなかったシーンなんですね。僕の小説だとマロリーのカメラは発見されたんだけど、フィルムは発見されなかったという設定で書いたんです。
何故僕がそうしたかというと、史実ですとエヴェレストの頂に最初に登頂した(ネパール時間1953年5月29日午前11時30 分)のは、今はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの二人となっているんですが、もしもマロリーが一番最初に登ったという風に書くと歴史が覆ってしまうんですね。それで、敢えてそれを日本人の作家がやってしまっていいんだろうか? ということで僕は激しく迷いまして、でもどれが正解なのか結局分からない。
もしかしたらマロリーがエヴェレストで死ぬ前に登ったのかもしれない……という可能性だけを匂わせて結果は敢えて書かないという方を選んだんですよ。
谷口さんが描く前に唯一、僕に聞いてきたのはそのラストシーンなんです。漫画化が決まったその瞬間に「最後のシーンを変えていいですか?」と谷口さんが直ぐ僕に言ったんですね。「最後のシーンって、何ですか?」と聞いたんです。
結果、谷口さんが「実はマロリーは登ってました」というシーンに変えたんですね。