母の笑顔は見たことがない

苗村は生まれてまもなく乳児院に預けられ、2歳の頃に千葉県の児童養護施設に移った。父の記憶はない。祖父とふたり暮らしの母とは、小学校低学年のとき、夏休みや冬休みに数日間だけ会っていた。

「でも、お母さんとはそれまで何年も離れて暮らしていましたし、一緒に行った兄も自分も懐かないんですよ。そしたら気に障ったのか、お母さんは自分たち兄弟の背中を叩いてきたりして」

母は精神が不安定になると包丁を振り回すこともあった。もっと幼いころ、施設の職員に「どうして僕はお母さんと暮らせないの?」と尋ねると、「お母さんは病気だから暮らせないんだ」とだけ返答されたことを、苗村はずっと覚えている。

小学校高学年になるころには母とは会わなくなった。母の笑顔を見たり、何気ない会話を交わしたりすることはついに一度もなかった。そして苗村自身の心も、そのころから崩れていった。

小学校、中学校、高校と剣道部に所属していた
小学校、中学校、高校と剣道部に所属していた


「施設には親から虐待を受けていた子たちが少なくないんですよ。だから人と人とのコミュニケーションが上手ではない子もいて、暴力が当たり前になっても仕方ないところがあるんですよね。当時の自分も自暴自棄で心が荒んでいたこともあって、施設内の人間関係に苦しんでいました」

中学卒業後には就職して施設を出る予定だった。しかし施設の先生が苗村を説得し、園長先生に話を通してくれた。

「早く出たかったし、『社会に出たら気に食わない奴がいたらぶっ飛ばしてやる』と周囲に言ってたんです。そういう自分を見かねた先生が、このままだと路頭に迷うと心配してくれたんだと思います。『こいつを高校にどうか行かせてやってください』と、目の前で園長先生に頭下げてくれて。こんな自分のためにそんなことしてくれる大人がいるんだと、すごく驚きました」