時間管理の点において学校は、多くの企業が圧倒されるほどに、厳格な体制

ある公立中学校では校則を学校のウェブサイトに公開しており、そこには「○分前~~」をはじめとする時間上のルールが示されている。

時間管理に関連する事項のみを抽出すると、図2-1の表の通りである(匿名化にあたって、文意を損ねない範囲で、文言等を一部書き換えた)。なおこの表は、後段でも再度言及するので、全体に目を通してもらいたい。「下校」の時刻について「最終下校時刻」が示されている。その時刻を見て、根本的な疑問が思い浮かばないだろうか。その疑問への解は、もう少し先に進んでから明らかにしたい。

「3分前準備完了、2分前着席、1分前黙想」と「分刻みのスケジュール」が学校のきまりとして適用されている。さらには、学校が早くに終わって帰宅した場合には、学校の管轄外ではあるけれども、家庭での過ごし方について「15時30分までは外出しない」と指導がなされる。実に、学校の管轄を超えてまで、時間管理が「学校生活のきまり」として徹底されている。

学校の本務である授業の時間帯は、その円滑な運営を目指して、分刻みの時間管理が行き届いている。もちろん教員もこれを守らないわけにはいかず、教員も子どもとほぼ同様に分刻みのスケジュールに則って行動することが前提とされる。時間管理の点において学校は、多くの企業が圧倒されるほどに、厳格な体制がとられている。

図2-1 ある中学校の校則に記された時刻関連の項目。『先生がいなくなる』より
図2-1 ある中学校の校則に記された時刻関連の項目。『先生がいなくなる』より

午後3時半に磁場が狂う―究極の労働者から、究極の聖職者へ

ところが6限目の授業を経て、帰りの会が終わる午後3時半あたりから、不思議なくらいに、時間管理のメンタリティが急速に消え失せていく。

代わりに、「お金や時間に関係なく子どもに尽くすべき」という崇高な聖職者像が台頭する。放課後の代表的な教育活動である部活動について言えば、「たくさん練習して強くなる」という考えの下、生徒と教員がともに、毎夕(さらには土日)の活動に精を出す。

分刻みだった時間管理が、午後3時半頃を境に崩壊する。究極の労働者から、究極の聖職者への転換である。授業の時間帯には50分の中で最大のパフォーマンスを発揮しようと、教員は工夫を重ねてきたはずだ。一方で放課後は、長い時間にわたってたくさん活動してこそ、教員としての評価が高まる。

私は決して、教員自身の意識に長時間労働問題の責任を全面的に帰したいわけではない。働き方改革は基本的に行政主導で進められるべきである。

ただ、教員の意識改革の答えは、決してどこか遠くにあるわけではないことを、強調したい。私は「○分前~~」を推奨したいとは思わないが、学校がどれほど時間管理を得意としているかの証左として、「○分前~~」の日常をここに示した。

時間管理の肌感覚は、決して学校の外にあるのではない。教員は日中の大半を厳格な時間管理の中で過ごしているのであり、十分すぎるほどに時間管理の経験と感覚を有している。