「私はいいんですよ。でも家族が…… 」
そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。
いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。
「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」
ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」
なるほど、そうきましたか。
それを持ち出されると、弱い。
何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。
料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。
なぜお母さんが全員分を洗う?
それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。
でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。
なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか?
そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。
みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。
さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。
ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。