たった一つのシンプルな理由
ノルマさんが続ける。
「最初はね、ここに商店があるだろ。そこの商店に、知らない人たちがやって来たんだよ」
たしかに、パトロナスの家には、小さな商店がくっついている。
「そこにね、なにか飲み物を売ってくれ、って言う人たちが来たんだよ。それで、よく見たら、近くの電車に同じような人たちが乗ってるじゃないか。だから、その人たちに食事をあげるために、パンとか簡単なものを用意したんだよ」
「そんなはじまりだったんですね……」
「でも、しばらくの間はね、彼らが移民だっていうことは知らなかったよ」
「え? そうなんですか?」
「別に移民だからって理由で助けたわけじゃなかったから。困ってそうな人がいたからさ、それで力になれないかと思ってね」
困っている人がいたから、助けた……。
「ここには、食べ物もたくさんあるし、わたしたちはなにか困っていることがあるわけじゃないし、ありがたいことにね」
正直、ガツーンと頭を殴られたような感じがした。ぼくは、彼女の話を聞くまで、勝手に頭のなかでパトロナスのいろんなストーリーを妄想していた。ノルマさんたちがここまで「移民」を支援するのは、なにか理由があるんじゃないか。家族に「移民」がいるんじゃないか。「移民」というキーワードに目が眩んでいるところもあるんじゃないか、と。眩んでいたのは、ぼくの方だった。
困っているから、助ける。たしかに、ぼくも時折その現場に遭遇するときがある。メキシコで、ラテンアメリカで、なにか困ったことが起きるとき、たしかに見てみないふりをする人はいるけど、いつも声をかけてくれる人がいるのも事実だ。それは、都会よりも地方の方が多い。
何度見知らぬ人に「大丈夫?」と声をかけてもらっただろうか。ノルマさんたちの活動は、その延長に思えた。毎日、食事をつくって、袋詰めにして、列車が来るのに合わせて渡す。その活動は、きわめてシンプルな理由からはじまっていたのだった。
そのとき突然、汽笛の音が鳴った。
文/嘉山正太 写真/shutterstock
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