小野の歩んできた次官コース…
人事当局は大騒ぎになったようだ

小野は県立熊本高校を経て、東大法学部に進んだ。開成、麻布、筑波大附属駒場といった有名進学校の出身者が次官争いの最前線でしのぎを削る昨今、地方の県立高校出身者は少数派だが、意外にも直近の過去2代、太田充(島根県立松江南、八三年)と矢野康治(山口県立下関西)が続いており、小野も彼らの系列に連なる可能性は十分にあった。

実際、それまで歩んできたポストも決して見劣りしない。主計局総務課を振り出しに、大臣官房文書課課長補佐などを経て、主計局の中でも出世頭といわれる公共事業担当の主計官に就任した。ここから文書課長などを経由して主計局次長になるのが典型的な次官コースだが、小野は主税局総務課長に転じ、官房審議官も主税局担当と税畑を歩んだ。

この間に消費税率引き上げなどで実績を残し、21年7月の人事で総括審議官に昇進した。このポストは政府の経済対策や日本銀行との政策調整を担う窓口で、次官コースの登竜門である官房長への最短距離として近年、重みを増してきている。ここを無事に通過して官房長に辿り着けば、あとは主計局長から次官が約束されたも同然であり、22年夏の人事では小野の官房長就任が事実上内定していたと噂された。

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それが事実かどうか気になり、現役・OBの何人かに確かめた。ほぼ全員が「事実」であることを認め、ある一人は「小野が事件を起こしたのが5月20日深夜。その約1ヶ月後に定期異動が予定されていて、人事当局は大騒ぎになったようだ」と秘話を明かした。

それほどの人物が、なぜ、泥酔状態で暴行などという信じ難い行為に及んだのか。よく政界を象徴する言葉として「一寸先は闇」が使われるが、小野の逮捕劇はそれを地で行くドラマとしか言いようのない不可解さを感じさせる。事件のあった五月二十日までに、親しい先輩から「官房長内定」を伝えられていたかどうかは知る由もないが、仮にそれが事実だとすると、その先にある「次官確実」が彼をあらぬ方向へ引きずり込んでしまったのだろうか。それは心の闇としか表現のしようがないが、あるいは本人も無意識のうちに暴行に及んでしまったのか。