「学校で競技の話をしてほしくなかった」
――当時の師範は怖かった?
藤沢 師範は洪道場の洪清泉先生ですごく優しかった。でも挨拶の声が小さかったりしたら注意してくれたり、怒るときは怒る方なので、囲碁以外のこともたくさん学びました。
里見 私の小学生のときの師範は月謝もなくボランティアでやられている先生だったのですが、礼儀作法をイチから教えていただきました。その先生に一番最初に教わってよかったと思ってます。
――藤沢女流本因坊は11歳で、里見女流五冠は12歳でプロ入りし、初タイトルが里見女流五冠は16歳で、藤沢女流本因坊が15歳。里見女流五冠は“出雲のイナズマ”と呼ばれるなど、おふたりとも小学生のころから“天才少女”としてマスコミに取り上げられていました。
里見 思春期でデリケートな時期だから、隠してたというか……あんまり自分から将棋の話題に触れませんでした。注目されるのも、人前で話すのも苦手で。目の前に将棋盤があれば大丈夫なんですけど。
だから、友達に聞かれても早く将棋の話題を終わらせたくてしかたがなかったです。ただ将棋がやりたいだけだったので、注目されるのは得意ではありませんでした。
藤沢 わかります! 話題にもしてほしくなかったですね。ただ、私の場合は洪道場に入ってからは毎日お昼に早退してたから、学校にあんまり友達がいなかったのですが。
里見 私も対局のときは東京へ前乗りするので、対局前日に早退、当日は欠席。対局が終わったら夜行バスで島根まで帰るので、翌日は遅刻せざるを得ませんでした。
今でこそ負けてもあまり落ち込みませんが、昔は「負けたら一巻の終わり」くらい思っていたから、負けた日の夜行バスでは一切しゃべらなくて。同行してくれていた母には本当に申し訳ないことをしたなと思いますね。