大きな人的資本が自尊心を生む
職場で起きる議論には、「タスクの衝突」と「人間関係の衝突」がある。タスクの衝突とは、いかにビジネス上の目標に到達するかの議論で、対立が激しかったとしても協力的で生産的なものになる。
だがときに、それが人間関係の衝突に発展して職場環境を破壊してしまう。
組織心理学者のフランク・デ・ウィットは、対立への対処の方法として「挑戦状態」と「脅威状態」があるとする。
この2つは生理的な反応が異なり、挑戦状態では心臓の鼓動が高まるとともに血液が効率的に送り出され、脳や筋肉への血流量が大きく増加する。
アスリートが満員のスタジアムに登場するときの高揚感だ。
それに対して脅威状態では、心臓の鼓動は速くなるが、血管の抵抗が増すことで、血流は逆に阻害されてしまう。これは恐怖反応で、「興奮すると同時に身体がぎこちなくなる」状態になる。
デ・ウィットは、議論の参加者に心血管測定器をつけてもらい、挑戦状態か脅威状態かを識別した。するとそこに、明らかなちがいがあることがわかった。
相手と意見が衝突したとき、ひとはそれに対応できるリソースが自分に備わっているかどうかを本能的に計算する。
リソースがあると感じれば、精神的にも肉体的にも準備万端の挑戦状態になる。逆に、自分の能力に対してタスクの要求が高すぎると感じると、それが暴かれるのを回避することに全神経を集中する脅威状態になるのだ。
実験では、参加者が脅威状態に切り替わると、当初の意見を変える可能性が低くなり、議論に勝つのに役立たない情報を排除する傾向が目立つようになった。
一方、挑戦状態の参加者はさまざまな視点を受け入れる姿勢を見せ、はじめに抱いていた見解を改めることもいとわなかった[*]。
大きな人的資本をもつ者は、心理的な優位性があるので、他者の正当な反論を受け入れ、より正しい判断ができる。
それに対して小さな人的資本しかもたない者は、なんとかして自分を守ろうとして、もともとの誤った主張に固執し、結果として災厄を招いてしまうのだ。
自己啓発本では、「自信をもつ」「自尊心を高める」ことの重要性が説かれている。最近では、社員の能力を発揮させるには「心理的安全性」が重要だとされている。
だがこれは、因果関係が逆だ。
自尊心をもてるのは大きな人的資本(高い専門性)があるからで、それによって対立する相手の意見を尊重する余裕が生まれる。
心理的安全性も同じで、それは上司や同僚の言葉遣いによって与えられるものではなく、相手の言葉に「脅威状態」で反応しない大きな人的資本が「安全性」をもたらすのだ。
* イアン・レズリー『CONFLICTED(コンフリクテッド)衝突を成果に変える方法』橋本篤史訳、光文社