自らを「バカ」ではなく「アホ」と評した理由

しかし築いた財産は、新興宗教に入信した最初の妻がすべて教団に貢いでしまった。石崎大将はそれでも挫けず、アワビの養殖事業を手掛ける会社に就職し、高額のサラリーを手にした。

人生が上り調子に転じたときに、今の妻、紀子さんと出会い、二人は結ばれた。ところが、バブル崩壊のあおりで会社の業績が急激に悪化し、やがて石崎大将は解雇を言い渡されてしまった。近くマイホームを購入する予定だったが、家計のことを考えて取りやめることにした。それでも紀子さんの笑顔は、輝きを失わなかった。

《これからどうしようか?》

何の気なしにテレビをつけると、ラーメンの特集が放送されていた。麺類は好きではないのでチャンネルを替えた。ところがその局でもラーメン、また替えたら次もラーメン。「これは何かある」とラーメン店を開業することを決意したという。1995年、38歳のときだった。1年も経たないうちに、店は千歳で指折りの人気店に急成長した。

異色の登山家・栗城史多氏の“高額な遠征”をバックアップしていた「資金調達の指南役」と「北海道政財界の面々」_4
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石崎大将は「ラドン」というメニューを開発した。四国の香川県から出張で来た客に「おやじ、うどん!」と言われたのがきっかけだった。

「うち、ラーメン屋ですけど」
「いいから作れ! 塩ラーメンのスープにうどんの麺入れりゃあいいんだよ」

言われた通りにした。チャーシューの代わりに、豚のほお肉をトロトロに煮込んだものをトッピングしてみた。店のメニューになった数日後、テレビ局から「そちらに怪獣の肉が入っているラーメンがあるって聞いたんですけど?」と電話がかかってきた。

「え? そんなものあるわけ……あ、ラドンのことですか?」

番組で紹介されて、人気に火が点いた。

「キムタクチャーハン」も当たった。紀子さんがたまたまキムチとタクアンを買いすぎてしまって、「どうしよう?」という話から生まれたメニューだ。

「ラーメンには合わないだろうから、キムチもタクアンも細かく刻んで赤いチャーハン作ってみたの。それをボクらが賄いとして食べていたら、お客さんが『何それ?』って。教えたらテレビ局に連絡しちゃった。キムタク(木村拓哉)のお母さんまで食べに来たからビックリですよ」

石崎大将が力を入れたのはメニューだけではない。お客さんが喜んでくれればと、手品に凝りだしたのだ。メキメキ上達し、地元の祭りやイベントに招かれるほどになった。

石崎大将は決まって「水戸黄門」の扮装でステージに立つ。「幸門」とご本人は名乗っていた。妻の紀子さんが、お銀。二人の知人が助さん格さんに扮して、手品のほかに大将演出の寸劇を披露した。

栗城さんをいたく気に入った石崎さんは、自分が入っていた会の集まりに彼を誘った。

「日本アホ会、っていう会があるんです。そんな組織があるなんて知らなかったんですけど、入ってみたら衝撃的で。『面白い連中に出会えるぞ』って、栗城君に入会を勧めたんです」

日本アホ会は、企業家やスポーツ選手を対象にメンタルトレーニングを行なう「株式会社サンリ」の会長、西田文郎氏が作った親睦団体だ。2009年からは社団法人化している。

「アホ」の定義は、「自分より人を喜ばせるのが好きな人」「自分には何でもできる! と思っている人」。『日本を救うのは、夢にチャレンジするアホなのだ』が合言葉で、年に一度、アホのチャンピオンを認定する。

2007年、51歳で入会した石崎大将は、翌2008年、「アホ」と書かれたチャンピオンベルトを会から授与された。

「アホって、ある意味変態ですからね。脳がハイな状態になって、一種の快楽、いや麻薬でもありますね。アホって言われただけでボクは魂が騒ぎますもん」

2007年12月1日、栗城さんは日本アホ会が主催する『アホ大学 特別授業』に参加した。「最高に勇敢なドアホ」と、ある会員のブログに紹介されている。翌年の会では講師も務めた。

私は栗城さんと出会ったころ、「自分でもアホだと思いますよ、ボクは。登るだけでも大変なのに、自撮りまでするんですから」と、しきりに「アホ」という言葉を使うのがちょっと不思議だった。北日本や東日本では、愚か者は「バカ」と呼ぶのが一般的だ。彼の「アホ」は、石崎大将とアホ会の影響だったのだ。

石崎大将の店の表には、暖簾の上に電飾のサインがあった。浮かび上がる文字は、
『栗城史多君の単独無酸素七大陸最高峰登頂を応援します!』

アホになってエベレストに登れ! 大将の思いが伝わってきた。

文/河野啓  写真/shutterstock

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デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場
著者:河野 啓
異色の登山家・栗城史多氏の“高額な遠征”をバックアップしていた「資金調達の指南役」と「北海道政財界の面々」_5
2023年1月20日発売
825円(税込)
文庫判/384ページ
ISBN:978-4-08-744479-7
第18回開高健ノンフィクション賞受賞作
「夢の共有」を掲げて華々しく活動し、毀誉褒貶のなかで滑落死した登山家。
メディアを巻き込んで繰り広げられた彼の「劇場」の真実はどこにあったのか。

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