エベレストに登りたければ「アホになれ!」
栗城さんには、和田教授の他にも複数の熱烈な支援者がいた。
初期の応援団長は札幌市内に事務所を構える某弁護士で、北海道はもとより全国の知人に栗城さんをつなげた。私が取材していたころも熱心だったが、事務所の児玉さんによれば「栗城が何か不義理をしたみたいで」その後疎遠になったという。スポンサーとしては、「玄米酵素」「ニトリ」の双璧に、パチンコチェーンと飲食店を経営する「正栄プロジェクト」(本社・札幌市)を加えた3社が代表格だった。
他にも重要人物がいた。栗城さんの「心の応援団長」である。
「大将」と彼が呼ぶ、石崎道裕さんだ。私が会った2008年当時、52歳。千歳市内でラーメン店「らーめんみのり」を経営していた。
「最初はうちの店に時々ラーメン食べに来てたんですよ、リュック背負って。しばらくして知り合いに、面白い登山家がいるから講演を聞きに行こうって誘われて、行ってみたら栗城君だった。『うちの店、来たことあるよね?』って言ったらニコッと頷いてね。また話がうまいんだ、講演に引き込まれちゃってさ、すっかりファンになったんですよ」
石崎大将は、ふっくらとした布袋様のような風貌をしている。にこやかな笑みを絶やさない。しかし歩んできた人生は壮絶なものだった。
実の母親に捨てられ、日高地方の小さな漁師町で祖父母に育てられた。祖父は酒乱で飲むと必ず暴れるため、石崎家は村八分の状態だったという。その影響もあって学校ではイジメを受けた。クラスのみんなが担任の先生の家に遊びに行く相談をしていたときも、一人だけ誘われなかった。石崎少年は何度も自殺を考えたそうだ。
中学1年生のときに祖父が亡くなると、叔父の船に乗って漁に出るようになった。ある日、沖で操業中に突然、時化になった。船が大きく傾いて、石崎少年は海に投げ出されてしまう。
《これで死ねる》
……頭ではそう思っていたのに、気づけば叔父が船から投げたロープにつかまっていた。
《あれだけ死にたいと思っていたのになぜ……?》
思いを巡らせた末に行き着いた答えは、
《何かを成し遂げるために生かされたのだ》
漁師をやめた後、何度か職を変え、一時は海産物の販売で財を成した。
「800円ぐらいで漁師から仕入れた毛ガニをすすきのに持って行って、仕事帰りのホステスやソープで働くお姉さんに売るんですよ。これがね、安いと売れないの。高くないと買わないのさ。800円で仕入れた毛ガニを5000円、もう飛ぶように売れて」