中学時代の木工セットで開店DIY

人づての紹介もあり、渋谷駅から徒歩1分のテナントに決まった。周辺相場は1坪数万円以上も珍しくない立地に52坪。一般的にボクシングジムは25坪前後の広さが多いなか、この広さはチャレンジだった。家賃交渉は途中二度破談になったが、最終的には大幅な値下げに応じてくれた。

「ただ一方で不足する開業資金の2000万円は、何としても準備しないといけない。国の制度融資や、日本政策金融公庫など受けられる融資は全部お願いし、友人の家に半年間も居候させてもらって節約の日々です。開業資金を抑えるため、前のテナントの解体工事はドン・キホーテで寝袋を買ってきて、中学のときに使っていた木工セットを使って、現場で寝泊まりしながら小中学校時代の友人と作業しました」

こうして2003年10月にジムは何とかオープンする。しかし、数日経っても入会者はいなかった。

テナントの場所が悪かったのか、宣伝が足りなかったのか。山手線を一緒に回った後輩のトレーナーと二人、ジムで待っているとようやくふらっと人が訪れて、そのまま入会申込書に名前を書いてくれた。

入会手続きが終わった後、控え室で後輩トレーナーと抱き合って喜んだ。

「汚い・臭い・暗い・怖い」というボクシングジムのイメージを覆した元ボクシング王者の緻密なジム経営。年下の先輩から呼び捨てにされながら下積み、借金2000万円で開業するが数日経っても入会者は来ず、「もうダメか」と思ったそのとき…_5
第1号店オープン当時のスタッフと。右から2番目が、山手線で一緒に空きテナントを探した齊藤一人さん(現:中野サイトウボクシングジム会長)写真提供:山口裕朗/boxing-zine
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「今考えたら誰もいない部屋で二人抱き合うのは気持ち悪いんですけどね(笑)。でも、そこから社会に評価されたり喜んでもらったりすることで感じてきた充実感や達成感は、現役時代の初勝利や東洋王者戴冠のときと同様、あるいはそれ以上の経験だと思っています」

後編では、ボクシングジムとしては異例ともいえる店舗数を拡大できた理由と、ビジネス戦略について紹介する。

取材・文/田中雅大 撮影/寺島佑(fort)

#2 「一人も解雇しない」儲からないといわれるボクシングジムの常識を破る元王者の経営術