#2 「一人も解雇しない」儲からないといわれるボクシングジムの常識を破る元王者の経営術
年下の上司から呼び捨てにされる元東洋太平洋王者
元世界王者のプロボクサー・村田諒太は3月に行った引退会見で、こう言った。
「アスリートは20代や30代で夢が叶ってしまう。僕もそうですし、それゆえにそのあとのキャリアで悩んでしまう状況はものすごく理解できる。でも、競技だけが人生ではない」
東京・埼玉・大阪で全9店舗のボクシングジム「BOXING CLUB」を運営する今岡武雄氏は、1999年に引退した元プロボクサーである。10代からリングに上がり、プロ戦績は27戦23勝4敗。東洋太平洋王者のタイトルを奪取して4度の防衛中は、ボクシングファンの間では世界タイトル挑戦が期待されていた選手の一人だった。
「でも、ボクシングファン以外は誰も自分のボクシング経歴なんか興味がありません。引退後に就職したケーブルテレビの営業職では、年下の上司からも呼び捨てにされて当初はビックリしました。社内にはボクシングに詳しい人がいたんですよ。この人なら知ってくれているだろうと思ったら『(今岡氏と同じジムで人気選手だった)渡辺雄二なら知ってるよ』って言われました」(今岡さん、以下同)
元王者の経歴はアテにならなかった。それでも将来事業を始める野心があった今岡氏は資金を貯めるために社内の誰よりも働き、入社2か月目からトップセールスマンとなった。
「現役中は朝のロードワーク後に肉体労働していたので、仕事中に足が痙攣することもあるくらいしんどかったんですよ。でも引退したら走り込みもないし、減量もないし、コンディション調整もないし。これで給料がもらえるのかと感動しました。
あと社内で契約数がランキング形式で掲示されるんです。それがボクシングと同じで燃えました。ボクシングの経歴はよく体力だけが武器だと思われがちですが、相手の心を読む心理的な駆け引きは営業にも応用できて、成果も出せました。契約社員として営業職を任された時代は月収100万円を下ることはなかったし、1年も経たないうちに正社員転換となりました。
パソコンもまともに使えないところから、最終的には新人研修などの管理職を任されて、経営戦略会議に参加していました。このときの経験は本当に今のジム経営に役に立っています」
2年半後、節約を続けて800万円の自己資金が貯まった。飲食業やマッサージ業も検討したが、やはりボクシングジムを選んだ。
「その会社員時代に、宴会用に用意したグローブが社内に置かれていたんですよ。ある日上司から休憩中にミットを持ってくれと頼まれたので応じていたら、次の日も次の日もお願いされて。さらに評判を聞きつけた社内中の社員も行列を作るまでになって、『あ、こんなに喜んでもらえるんだ』と。自分が力を発揮をできて、ビジネスとしてお金を稼げるのはボクシングジムが一番近道だろうとそのとき思ったんですよ」