「セルビア悪玉論」に覆い隠された不都合な真実
木村 藤原さんが書かれた『中学生から知りたいウクライナのこと』に、1999年3月24日から78日間行われたNATOのユーゴスラビア空爆をきっちりと批判している一文があって惹かれました。
「(NATO米軍は)ユーゴがアルバニア人に行っている弾圧や難民流出は人道的破局である、という論理で空爆を仕掛けました。しかし、この空爆は、セルビア系による民族浄化をかえって悪化させたと言われています。『人道のための軍事介入』や『平和維持活動』という冷戦終結後のNATOの論理が、今ロシアによって用いられていることを考えずにはいられません」と。
実際このユーゴ空爆は、米国が、調停案にユーゴ国内でのNATOの軍事活動を認めよという要求を入れて決裂させたもので、最初からコソボにおける基地駐留を目的とした、国連を無視した軍事介入でした。
しかし、同じ米軍が行った攻撃でもイラクやアフガニスタンへのそれと違って、世界中のほとんどの識者が反対するどころか、積極的な支持さえ表明していた。残念ながら、大江健三郎や、晩年は撤回したようですが、ギュンター・グラスといったノーベル文学賞作家も当初は賛意を示していた。逆にペーター・ハントケは反対していたから、ノーベル賞受賞が遅れたし、受賞後もクレームをつけられました。
藤原 セルビア悪玉論ですね。ソ連が崩壊して東西冷戦が終わり、ワルシャワ条約機構が解散したにも関わらず、これに対峙した西側軍事同盟のNATOはそのまま温存されました。
第二次世界大戦の独ソ戦で、ソ連は約2700万人の犠牲者を出しましたが、ゴルバチョフ大統領がソ連国民の猛反発を抑えて、統一ドイツのNATO加盟を認めました。しかし、その後のNATOのふるまいに関して、『我々は冷戦に終止符を打ったのに米国は冷戦の勝利を表明した。この勝利者意識はモラルを欠くものだ』というようなことを言っていましたし、今でもロシアはこれに対する不信感が強いでしょう。
特にコソボの問題においては、和平調停から、軍事介入にまで米国とNATOに一方的に出し抜かれて、ロシアは置いていかれた感がとても強いだろうと思ったわけです。そして無視されたのは、空爆被害を受けるコソボ市民の声です。