栗城さんには「演出家」が必要だった

「ガイドにも伝わりますよね、『こいつはニセモノだ』って」死後も登山仲間たちが栗城史多さんを語りたがらない理由_4
栗城史多さん

栗城さんの登山は続行され、番組も放送された。

そうであるならば、この登山と番組は「夢の共有」とか「日本を元気に」といった、誰に宛てたかわからない目的のためではなく、ただ一つ「亡くなったテンバさんのために」山に登り、番組を作ればよかったのだ。

テンバさんがどういうシェルパだったか、仲間の話や、可能であれば遺族、そして前回の挑戦で彼に救助された栗城さん自身の証言を番組の中に構成する。

同時に、自分の登山がどれだけ多くのシェルパとスタッフに支えられているかを、きちんと映像にして、視聴者に伝えればよかった。

そうすることで、さりげなく、カミングアウトできたのだ。「これが栗城スタイルです。単独ではありません」と。

栗城さんの苦手な、謝罪も弁明も一切いらない。ただ、番組を通して伝えればよかった。そしてそれ以降、単独、という言葉を使わなければいいだけのことだった。

発想を更に広げて、チョ・オユーのときからつきあいのある日本テレビの『24時間テレビ』に企画を持ちかける手もあった。世界の登山隊のために命を散らすシェルパ族の窮状を訴え、日本の視聴者に彼らへのチャリティー募金を呼びかけるのだ。「テンバ基金」と名付けて。

そうすればエベレストには登れなくても、栗城さんはシェルパのために行動を起こした登山家としてネパールの人たちに感謝と敬意を持って語り継がれたかもしれない。

栗城さんには、演出家が必要だった。企画に営業、(一部)撮影から主演までを「単独」でこなすのは土台無理なのだ。