入管のギャンブル大会
アジアやアフリカの田舎では、多くの家が果物を使って自家製のどぶろくを造っている。そのノウハウが入管にいる人々の中で広まっているのだろう。
また、ペドロがグループのリーダーとしてよくやったのが、ギャンブル大会だったそうだ。同じフロアの人間たちで金を出し合ってビンゴをやって一位が金を総取りするといったものだった。することもない毎日の中では、数少ないエキサイトする遊びだったらしい。
このようにフロアでは、出所者など悪いことをしてきた人たちが好き勝手をする傾向にあった。往々にして彼らは日本語をはじめ複数の言語ができるので、コミュニケーション力に長けて、情報もたくさん持っている。一方、難民などはそうではないので、肩身の狭い思いをしていることが少なくなかったそうだ。この十把一絡げにする収容方法は考え直すべきだろう。ペドロは言う。
「俺が入管にいたのは全部で1年半くらいだ。俺はギャング時代の仲間に入管への嘆願書へ署名をしてもらったり、コカインの密輸で稼いだ時の金で弁護士を雇ったり、入管の仲間をそそのかしてストをやったり、あの手この手で抵抗した。そうしなきゃ、何年も閉じ込められると思っていたからね」
入管の中でペドロはニュースにもなった騒ぎも起こしたので、相当厄介な存在として見なされていたようだ。
ペドロの入管からの解放は、前触れもなく決まった。ある日いきなり呼び出され、「仮放免になったから」と言われ、出られることになったという。仮放免とは、正式な在留資格ではないが、就労しない、定期的に面会に応じるなどの必要な条件を満たすことで一時的に在留が認められる資格だ。
「俺は小学生の時に来日していてブラジルのことを知らない。それに、日本人女性との間に2人の子供がいて親としての責任もある。そうしたことが加味されて仮放免にしてもらえたみたいだ。
逆にいえば、俺みたいな日系人は仮放免をされるのが基本なのに、入管は閉じ込めることでさっさと帰国しろと促すんだよ。俺の知り合いなんて、2年の懲役なのに、刑期が終わった後に3年以上も入管に閉じ込められた奴がいた。罪を償ったのに、これが嫌がらせじゃなくてなんなんだよ」