アントニオ猪木と葛西純の共通点
興行であるプロレスは、ある意味、勝敗で評価される競技スポーツよりも過酷な闘いの連続で、レスラーは日々、会場で自らの存在価値を観客に値踏みされているのだ。だからこそ、若手時代の葛西が「会場を盛り上げる」ことだけに没頭して過激なデスマッチに飛び込んでいったのは、プロレスラーとしての「性」で当たり前の考えだった。
しかし、トップ中のトップレスラーになると、観客を熱狂させることは当たり前で、それ以上に見ている者の人生をも揺さぶる影響力、メッセージを発する。その代表的なレスラーが「信者」とまで呼ばれるファンを獲得した「燃える闘魂」アントニオ猪木だろう。
猪木は「プロレスこそ最強」を掲げ、ボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリとの格闘技世界一決定戦を実現させた。常識を超えた闘いの連続、そして「こんな闘いを続けていれば十年持つレスラー人生が一年で終わるかもしれない。それでも俺は闘う」などのメッセージを残し、多くのファンの人生観にも深く食い込んできた。
プロレス界を超えた国民的なカリスマの猪木と葛西を同列に語ることは、もしかしたら間違いなのかもしれない。ただ、闘いを通じて観客の心を揺さぶるメッセージを発した唯一無二の存在では猪木も葛西も差異はないと思う。
「会場が沸けばいい」としか思っていなかった葛西が猪木のように限界に挑み、鮮烈なメッセージを発しカリスマとなった一戦が2009年11月20日、後楽園ホールでの伊東竜二戦だった。
現在も大日本プロレスに所属する伊東は葛西の一年後輩で1999年に入門した。葛西が2002年8月に大日本を退団しZERO-ONEへ移籍すると、デスマッチで脚光を浴び、いつしか大日本のエースとなっていた。一方の葛西は新天地でデスマッチは封印され、不本意な「猿キャラ」を強いられていた。大日本時代のような輝きを失っていた2004年12月18日に自宅のCS放送で葛西は、伊東のデスマッチを見ていた。
その試合後、大流血の伊東が今後の対戦相手として「葛西純を指名する」と発言したのだ。