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「不機嫌な人」がいるのが当たり前の家庭

外から日本社会を眺めて気がつくのは、個人よりも、学校や会社といった「組織=システム」にウエイトを置いていることです。

これは家庭でも同様です。

昭和の時代には「地震・雷・火事・親父」のことわざのように、家族に怒鳴りちらし、ちゃぶ台をひっくり返す父親像がありました。

一九七〇年代には、三船敏郎を起用した「男は黙ってサッポロビール」というCMが大ヒットし、「飯・風呂・寝る」だけで夫婦の会話を済ませてしまうと揶揄(やゆ)されました。家庭の中に「不機嫌な人」がいるのは当たり前だったのです。

また、姑や小姑にいじめられる「嫁」をテーマにしたドラマも話題になりました。

「家」というのはもともと「我慢するところ」で、「楽しいところ」ではなかったのかもしれません。そういう時代ですから家族同士の対等なコミュニケーションはあまり重視されていませんでした。

女性側もそれに対し、「亭主元気で留守がいい」「お金さえ入れてくれればいい」というようになっていきました。

「家庭に不機嫌な人がいるのは当たり前」「怒りを正当化する人が多い」マレーシア在住の文筆家が教える“日本のおかしな点”_1
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シンガポールのリー・クアンユー元首相は、『One Man’s View of the World(未翻訳)』 で、日本のこの問題を指摘しています。

『しかし、女性たちが旅行し、世界の他の地域の人びとと交流し、働く自由と経済的に自立することを味わうにつれて、彼らの態度は劇的かつ不可逆的に変化しました。たとえば、シンガポール航空で働く日本人女性の中には、シンガポールの客室乗務員と結婚した人もいます。

彼らは、シンガポールの女性がどのように生きているかーー威張って命令しまくる義理の親や夫たちから離れるライフスタイルがあることーーを知りました。日本社会は、女性をできるだけ長く男性に経済的に依存させようと最善を尽くしましたが、失敗しました』(筆者抄訳)

バブルの時代には女性が男性に結婚相手の条件として求めた「高学歴・高身長・高収入」を表す頭文字を取って「3K」という言葉が流行りました。

こういった時代を経て、家族が精神的なつながりというよりも、経済的な基盤を共にする共同体として認識されるようになっていったように見えます。