「お祭り病」に冒された日本社会

河野 「劇場」という話でいうと、日本は「お祭り病」に冒されているんじゃないかって思うことがあります。

札幌にもいま、オリンピック(北海道・札幌2030オリンピック・パラリンピック冬季競技大会招致)をやりたくてたまらない人たちがいて、招致活動のキャッチコピーが「世界が驚く冬にしよう」。この状況でやれば別の意味で世界がびっくりしますよ(笑)。

金平 それはそうだ。

河野 政治も社会も人々も、もう「ケ」と「ハレ」(日常と非日常)があったらハレしか考えていないというのは、非常に危険で。常に何かお祭りをやっていなきゃいけないというのは、ちょっと困ったものだなあと思っています。

金平 札幌冬季五輪があった1972年ぐらいで時間が止まっちゃっている人がいますから。もうメガイベントなんていうのを世界で引き受けようとするのは、この間のサッカーワールドカップのカタールみたいな国ぐらいなもので。

オリンピックとか万博とかも、メガイベントをやることによって、どうだ自分たちは偉いんだ、他よりも凄いんだと。そういう優越感を身内だけで持ちたいわけでしょう。それと、要するに銭儲け。浅ましいんですよね。

河野 はい。

金平 それで、本の話に戻すと、河野さんがこれを書かれたのは、栗城さんが亡くなってからなんですよね。

河野 そうです。

金平 悩まれたことってあるでしょう。一番シンドかったなぁというのは、何だったですか。

河野 これを書くことによって、傷つく人がいる。間違いなく。彼の家族だったり、彼に尽くしてきた事務所の社長さんだったり。彼の「劇場」や「虚像」を必死で守ろうとしているその人たちは、出来上がった本をどういう風に受け止めてくれるのだろうか。想像すると胃が痛くなりました。それが一番ですかね。

書きながら彼のことを思い出すことはありましたけど、それ以上に、私の知っている栗城さんではない、初めて会う人を探しにいく。そんな感覚を覚えました。私の中の「栗城観」はまるっきり変わりました。

「登山する自身」をインターネット中継――嘘と真の境界線を生きた栗城史多はYouTuberのはしりだった_4
『デス・ゾーン』著者・河野啓氏(撮影:定久圭吾)

金平 事務所の社長は、頑なに取材拒否だったっていうことも書かれていますけども。

河野 本人が亡くなった後になって書くのは「不誠実だ」と、最初に頂いたメールに書かれていました。「死者に近づいてきたハイエナ」のように思われているのかなと。実際にそう言われたわけではありませんが。