21戦目までファイトマネーゼロ

そんな状況の中でも、ボクシングの実力はめきめきと伸びていった。キッズ向けのスパーリング大会に出ると、何度かMVPを受賞するほど頭ひとつ抜けていた。17歳にプロデビュー後、全勝のまま18歳のときに全日本新人王に輝き、日本ランカーにもなった。

《中学生で100万円の借金》ゴミ捨て場で漁った服を着ていた極貧の幼少期からボクシング入門、21戦目までファイトマネーはゼロ。ジムとの訴訟…復帰戦で大注目を浴びる悲運のPTA会長ボクサー・斉藤司_4
2012年当時の斉藤選手

ただ、経済的にはむしろ状況が悪化していた。

国内ボクシングは一般的にはチケットがジムから選手に支給され、選手はそれを誰かに販売して現金化したものがファイトマネーとなる。しかしそれも全額懐に入るわけではなく、ファイトマネーのうち、33%を上限としてジムが受け取るという慣習がある。

さらに斉藤の場合は、ファイトマネーはほとんど手元に残らない特殊な契約となっていた。

「まずチケットを選手が現金で全額買い取る、という仕組みでした。とある試合では、40万円分のチケットを30万円で僕が買う。なので請求書をチケットと一緒に渡されるのですが、当然お金なんてない。売れ残ったら最大30万円の赤字となるわけです」
 
試合をしても1円も手元に残らないどころか、赤字が膨らむ。結果的に、13戦目まででAジムへの借金は200万円以上となった。移籍は認められず飼い殺しとなった。

「日本タイトルに挑戦した試合も含めて、2014年の21戦目までファイトマネーは全額借金の返済に充てました。自分はもう23歳になっていました」

借金返済以外でもAジムのためならと、スポンサー周りの営業も同行した。「お前の生い立ちのことを話せば皆応援してくれるから」と会議室で講演させられることもあった。

斉藤が結婚した奥さんは、生まれつき下半身の障害があった。

そのこともスポンサーの前で自分に相談なく話された。スポンサーから受け取るお金はAジムがすべて受け取り、斉藤には一切渡されなかった。単に、営業に利用されているように感じた。また自分に向かって、家族のことを馬鹿にするようなことを言われることも増えた。

いつからか、第二の父親だと思っていた会長が小さく見えた。

斉藤は2015年12月にリングを上がったのを最後に、Aジムから離れる。そして2016年10月、Aジムの会長を相手取り、移籍届への承認や未払いのファイトマネー300万円などを求めて裁判を起こした。