統計的価値のある論文も、被体罰体験者ほど
体罰肯定論者になっていることを示す

もうひとつのデータも見てみよう。

日本スポーツ心理学会の『スポーツ心理学研究』第49巻第2号にて、2022年に発表された、「被体罰経験者はなぜ体罰を容認するのか ―被体罰経験に対する肯定的認知及び感謝感情に焦点を当てた検討―」(久保昂大・杉山佳生・内田若希)という論文である。

全国在住の男女5000名を対象にスクリーニングした結果、634 名の被体罰経験者を抽出。調査協力を依頼し、回答のあった603名(うち回答に不備のあった15名分は除外)の分析結果というから、かなり信憑性が高い。

しっかりとした論文だけに細かいデータを紹介しようとすると気が遠くなるので省くが、ざっくり結論を言うと、『体罰を受けたことのある人は、体罰を肯定的に評価する傾向が強い。また体罰を肯定的に評価する人ほど、体罰に対する感謝感情が生まれている』というもの。

いくら社会が糾弾しようとも、部活などにおける体罰を根絶できない要因が、ここにあることはほぼ間違いなさそうだ。
被体罰経験者ほど体罰を肯定・美化しているため、体罰が再生産されているのである。

我が身を振り返り、確かに体罰に感謝している自分がいて
やや愕然とする

なんだかちょっと面倒くさい話になってしまったので、最後に自分の個人的な話を例にしてみよう。

僕は中学・高校で剣道部に所属し、その後はずっと離れていたものの、40代半ばで町道場に入門して稽古を復活した。
現在は週一回程度だが、細々と楽しみながら剣道を続けている。

つい先日、道場で稽古前に着替えをしていたら、こんなことを言われた。
「佐藤さんって、支度するのも片付けるのも異様に早いですよね」。
そうなのだ。
自分でも薄々勘付いていたが、道場に通う人の中でも群を抜き、僕の支度や片付けのスピードは早い。

なんでだろう?と考えたら答えはすぐに見つかり、僕はこう答えた。
「中学の剣道部、下級生は10分で支度して集合しないとケツ竹刀だったんですよ。だから急ぐクセがついちゃって」

ケツ竹刀とは、野球のバットのように握った竹刀を、お尻に向かってフルスウィングするという、剣道部でもっとも恐れられていた体罰だ。
これが涙が出るほど痛いので、僕らは必死になって早着替えのスキルを磨いた。

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そして今ではこう思っている。
あのケツ竹刀の経験が、時間を厳守するとか、メールに即レスするとか、さまざまな仕事上のことに活かせているのかも。
メチャクチャ辛かったけど、やっぱりあの経験に感謝しなければならないんだろうな……。

……なるほどね。
僕もまあ、単純なものだ。論文のまんまじゃないか。

これも“老害”の一種と言われればそれまでだが、こんなおっさんがすべて死に絶えるまで、体罰は根絶されないのかもしれない。

文/佐藤誠二朗