日当1万円でゴミを分別する仕事

震災直後は、津波に加え、重油が流れ出して大規模な火災が起きた。街は壊滅状態になり、彼女たちが見慣れた街は、すっかり瓦礫の山と化していた。
日中勤めていた会社もなくなり、フィリピンパブやスナックも消えた。津波に襲われ、市内でスナックを経営していた知り合いのフィリピン人のママも亡くなったという。
再びモニカが話す。

「震災の後、夫とは離婚しました。だから、1人で生きていくために、私はたくさん働きました。流されてきた土砂や瓦礫など、ゴミを分別する仕事をしてお金を貯めたんです。その仕事を気仙沼で3年、同じ仕事を郡山市で1年間やりました。他のフィリピン人も、私と同じゴミの仕事をたくさんしていた。1日で1万円もらえるから、すごく助かったんです」

〈写真で振り返る東日本大震災〉フィリピンパブで働く女性たちが直面した震災…スナック街は瓦礫と化し、日当1万円のゴミ分別作業で生計を立てる生活「最近は中国人の方がフィリピン人よりたくさんいます」_6
街にはいたるところに瓦礫の山ができた(2011年3月撮影)

必死に生活を立て直しながらモニカは再び、この気仙沼での生活を始めた。夜は仮設店舗で営業するスナックで働いた。

「震災の後は、瓦礫の撤去もあるし、建設現場の作業員たちが、たくさん店に来てくれましたよ。特に大阪や九州からのお客さんが多くて、いつも店が賑やかでした」

彼女が勤める店も、約5年前に仮設店舗から今の新しく建ったビルの1階に移転し、営業を再開した。だが、今度はコロナ禍が彼女たちを苦しめたという。

「やっと今までの生活を取り戻せると思っていたら、コロナになってお客さんが急にいなくなっちゃった。最近ですよ、お客さんが少しずつ戻ってきてくれたのは」

そう話すモニカだが、数年前に日本人と再婚したようで、その顔は実に幸せそうだ。
相手は、気仙沼で飲食業を営んでいるという。事情があって、姉の子供3人を養子に迎え、気仙沼での生活もたいぶ落ち着いてきたという。

「下の子は今、学校で、バレーボールやテニスに夢中になっています。上の娘は、日本の大学に行きたいと言っているので、私、もっと頑張らないとね」

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子どものために奮闘するモニカ(2023年2月撮影)
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そう明るく話す彼女に、この街のどこが好きなのか聞いてみた。

「すごく生活がしやすいところかな。人も優しいし、食べ物もおいしい。あと一番のお気に入りは、街のイルミネーションがステキなところ」

この12年で経験した数々の苦難は、焼酎をグラスに注ぐ彼女の手に刻まれた深い皺が物語っているようだった。

取材・文/甚野博則
集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/Soichiro Koriyama