作者・中沢啓治から聞かされた「戦争の真実」
香織は講談にすることを快諾してくれた中沢啓治という知己を得て、さらなる事実を知る。
中沢は当初、漫画家となっても生涯、原爆の漫画だけは描くまいと思っていたという。被爆者差別もあり、何より二度と思い出したくない忌まわしすぎる地獄の記憶を掘り起こしたくなかったからである。しかし、母親が亡くなり、荼毘に付した際、ご遺体の骨がひとつも残らなかったことが決意を促した。
「原爆はあれだけ苦労した母の遺骨さえ奪ってしまうのか」
これは伝え残さなくてはいけない、と憑かれたように机に向かい、ときに涙を流しながら、ペンを走らせたという。
さらに香織は中沢から、父から中国大陸で日本軍がおこなった蛮行を直接聞かされていたこと、凄惨だと思っていた原爆のシーンが実は子ども向けにセーブして描かれていたこと、漫画の中で描かれた、朝鮮人ということで差別を受けていた朴さんが実在した隣人であったこと、家の柱に挟まれて生きながら焼かれていった進次もまた実在した弟であったことなどを聞かされた。
「中沢先生は、いくつになっても当時4歳だった弟さんの『あんちゃん、自分だけ逃げるのか、ずるいぞ』という声が耳から離れないそうで、度々、夢に出て来て、飛び起きたそうです。それだけの十字架を背負って執筆されたわけです。
私が懸念するのは、「はだしのゲン」のような世界中で翻訳されている普遍的な作品に、『時代にそぐわないという理由で排除された』という既成事実が作られることで、子どもたちが手に取る前にそういう(時代に即さない)レッテルが貼られてしまわないかということです。
図書館に行けば置いてあるからいいではないかとか、広島市教委の課長も『ゲンの持つ力は全く否定していない』などと言っていますが、排除したい人はそういう風化を狙っているのではないでしょうか」