思春期に苦悩した「絶対的な父」との関係
お坊ちゃん社長の会の公式サイト上で、田澤氏は初代社長である父のことを、こう記している。「まさに天皇。言い返すことは不可能」。
一代で財を成した百戦錬磨の経営者である父。家庭内は「お父さんが絶対」という雰囲気が支配的で、父に向かって意見すらしたことがなかった。そんな関係は思春期に入ると複雑な感情に変わっていく。印象深いのは高校受験のときのエピソードだ。
「僕は中学生の時にバスケットをしていて、仲のよかった部活の仲間と都立の進学校に行こうと約束していたんです。それで一生懸命に受験勉強をして2人とも合格したんですが、父親の鶴の一声で別の私立高校に進学先が変更になりました。
母親も『お父さんが言っているんだから…』と話を聞き入れてくれない。今となれば、その高校に通ったことに後悔はないですけど、当時はつらかったですね」
田澤氏は大学卒業後から29歳で家業に入るまでの間、大手電機メーカーで社内弁理士として勤務している。弁理士を目指したのも父への反発心がきっかけだった。
自らの将来を考え始めた高校2年生の頃。長年気になっていた疑問を父に勇気を振り絞ってぶつけてみた。「将来、僕が会社を継ぐんですか?」。父の答えは「好きにしろよ」だった。
「後継ぎだと思われていないことが悲しかった。だから大学に入ったあとに『見返してやろう』と弁理士を目指したんです。弁理士が扱うのは知的財産ですから、父親が不動産業で扱う固定資産とは真逆だなと。全く違う分野で活躍すれば、父親を超えることができるのではないかという、いかにも子供っぽい反発心でしたね」
田澤氏は「2代目社長は自分を見失うようにできているんです」と話す。絶対の存在である父との関係に悩み、周囲から奇異の視線に晒されるなかで、「自分は何をしたいのか」が曖昧になってしまうのだという。
事実、家業に入ったのちも田澤氏は自分なりのビジョンを打ち出すことができず、経営は難航。どん底の精神状態に陥った(#1に詳述)。
しばしば、人は妬ましげに「実家が太いね」と口にする。だが、そのとき「恵まれているからこその悩み」に光が当たることはまずない。「実家が裕福なら人生すべてうまくいくはず」という見方は、あまりにも短絡的なのだろう。