【トランスジャパンアルプスレース(TJAR)】
日本海/富山湾をスタートし、太平洋/駿河湾のゴールまでの約415Kmを自らの力で走破するレース。北アルプスから中央アルプス、そして南アルプスを、自身の足のみで8日間以内に踏破する。厳しい選考をクリアした30名だけが出走できる。
日本一過酷な山岳レース「TJAR」の出場希望者は、なぜ増え続けているのか?
2年に1度しか開催されない日本一過酷な山岳レース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」が2022年8月7日に開幕した。8日以内に約415Kmの行程を走破する壮絶なレースだが、毎年このレースの出走希望者は増え続けているという。一体、なぜこの過酷なレースがそれほどまでに人気なのか? これまでNHKで大会のドキュメンタリー番組を手がけてきた齊藤倫雄氏の著書『激走! 日本アルプス大縦断 ~2018 終わりなき戦い~』(集英社)から一部抜粋・再構成してお届けする。
「スポーツ」を超越した究極のレース
「走る」
TJARの実像を伝えるために著書『激走! 日本アルプス大縦断 ~2018 終わりなき戦い~』の中で何度も記したこのフレーズは、実のところ、「比喩」と言っても差し支えない。
30人の参加選手の目前には岩稜が立ちはだかり、暑夏の日差しを浴びて熱せられたアスファルトが足を執拗に痛めつけ、気まぐれな暴風雨が吹き荒れ、命を一撃で奪いかねない落雷だってある。肩には重荷を背負い続ける。テレビ番組では疾走感を表現するために、文字通り走っている映像を意識して使ったが、レース全体では「選手はフラフラになりながらも歩き、進み続けている」といった方が事実に近い。
「走る」という言葉でこのレースを表現するのは生ぬるいのかもしれない。

ふくらはぎにできた巨大な水疱がレースの過酷さを物語る
テレビの電子番組ガイド(EPG)では、このレースを記録した番組は「スポーツ」にカテゴライズされる。だが、果たして「スポーツ」なのだろうか。
「スポーツ」はラテン語で〈遊ぶ、気晴らしする〉を意味するdeportareという単語が語源だ。
一方で、選手たちは自らの身体をあえて日本列島の脊梁(せきりょう)に叩きつけたいがために、長い間鍛錬を重ね、精神を律し、試練の場をくぐり抜けてきた。大会期間中に撮りだめられた膨大な映像素材に映し撮られているのは、大半がキツそうな選手の姿、表情である。なかにはケガをし、心身不調を訴える者もいる。あまりにも過酷で、笑みを浮かべる姿はほとんど見られない。気晴らし、という言葉が持つ軽めの語感とは、いささかかけ離れているように思える。
しかも選手たち全員が、市井に暮らしている普通の人々だ。家庭で父としての役割を求められ、職場で職責を負い、使える資金が潤沢というわけでもなく、休暇だって好きにとれるはずがない……それが平均的な姿ではないだろうか。
うそのない世界
醒めた目で見て「割に合わない」と感じる人がいるかもしれない。何しろ、命を失うことすらあり得るのだから。選手たちの周囲でも、出場を聞かされた当初は反対、もしくは怪訝な目で見る者が多いと聞く。それでもレースに出ようと思う者が、毎回のように陸続と後に現れる。
このレースの何がそこまでして、彼らを惹きつけるのか。
「そこには、うそがないから」
それが、筆者の足かけ9年にわたる取材実感である。選手たちは山の中で自然と向き合い、そして突き詰めれば自己と向き合い続ける。何ひとつ、ごまかしようがない。
すべてがリアル。感覚は研ぎ澄まされ、喜びも、痛みも、悲しみも、つらさも、苦しみも、うそ偽りなくリアルなものとして感じられるはずである。そして些か逆説的な物言いとなるが、だからこそ彼らは社会的な文脈やしがらみから切り離されて、こう感じられるのではないだろうか、「俺は自由だ!」と。
普段は蓋をしている自分のすべてを、レースの8日間で解き放つ。そこで自分が感じる感情や取った行動は、すべて本当のこと。誰にも邪魔されることもない。すべての感情を解き放つなんてことは、日常生活の中ではまずないこと。それはある意味、とても羨ましい。
その姿があまりにも羨ましいので、NHKで3回(2022年8月現在、4回)も番組を作らせていただくこととなったと言えなくもない。
「誇り」という最上の宝
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、
私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところ
ぜんぶにじぶんが行ってないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、
すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたせなかったせいなのだ、と。
『ユルスナールの靴』 須賀敦子
この一文は、ぶらぶらといろいろな書籍を手に取っているときに偶然に出会ったものだ。
この世で自分なりの居場所を探そうとすると、その過程で確信のないまま取捨選択をし、何かを切り捨て、本意ではないかもしれぬことを受け入れ、往々にして後から悔悟の念にかられる。そんなことがありはしないか。
選手の中の数人が異口同音に口にしていた「自分が探していたのはこれだ」という言葉。
世間の中で折り合いをつけていくこととの引き換えに、つい置き忘れてしまったものが、このレースの中に見つかるかもしれない、彼らはそう感じたのではないだろうか。その場へ行くのはちっとも簡単ではないけれども必死の思いでたどり着き、「自分にフィットする靴」を探り当てたのではないかと。
その靴の輝きは、夏が過ぎると褪せてしまうのだろうか。邯鄲(かんたん)の夢、だとでも?
いや、そうではない。それはきっと、選手たちの心の靴箱の中で最も輝かしいポジションを占め続けるに違いない。そして、これから先の人生を送っていく上で、思ったときに取りだして履き直し、いつでも自分に誇りを感じることのできる最上の宝となったはずである。
激走! 日本アルプス大縦断 ~2018 終わりなき戦い~
齊藤倫雄

2019年4月19日
1760円(税込)
単行本 340ページ
978-4-08-781673-0
2018年8月に開催された日本一過酷な山岳レース
「トランスジャパンアルプスレース」に、NHK取材班が完全密着。
(2018年10月27日、NHK BSプレミアムにて放送)
番組では放送されなかった未公開エピソードや
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