「あんまりいい思い出がない…」野球女子インフルエンサーが語る少年野球時代と高校卒業後に野球を辞めた真相「てんかんは表向きの理由なんです」
TikTokフォロワー数110万人の野球女子、“まつりの”こと松本里乃さん(20歳)。前半では過酷な練習の果てにたどりついた甲子園のマウンドとイチローとの対決秘話など、女子高校野球時代について聞いた。後編では野球との出会い、そして、高校卒業後の野球人生について話してもらった。
少年野球時代はチーム内競争に伴う嫌がらせも
――野球を始めたきっかけは?
松本里乃(以下、同) 小4のはじめに少年野球をやってるお兄ちゃんの試合を観に行ったのがきっかけですね。ただ、お兄ちゃんに憧れて……とかではなく、その試合でお兄ちゃんがヒットを打ってお母さんがすごく喜んでいたんです。
里乃は頭が悪いから勉強でお母さんを喜ばせることはできないけど、兄ふたり弟ふたりの5人兄弟でいつも走り回ってたから運動神経には自信があって、野球ならお母さんを喜ばせられるかも⁉と思ったんです。
――最初からセンス抜群だった?
人生初打席で3ベースヒットを打って、「待てよ、才能あるんじゃね?」と思いました(笑)。
でも、チーム内競争に伴う嫌がらせもあったりして……結局、私は小6の途中で辞めてしまったので、少年野球にはいい思い出がないですね。

小学生時代のまつりの(本人提供)
中学は野球部は避けて女子ソフトボール部に入りました。1年生から主軸を打たせてもらったりでめちゃくちゃ楽しかった。
でも自分たちの代になったらやる気があるのは里乃だけって雰囲気でちょっと浮いてたことなどもあって、中2の秋に野球部に移ったんです。

――少年野球と違って、中学で男子に混じるのはキツそうです。そのなかで野球女子は「男子には負けたくない」と奮起するパターンが多いですよね。
生まれたときから家が男だらけだったから、環境的に気になることはなかったです。
ただ、私のほうがマジメに練習してるのに、体力差もあって試合で打てるのは男の子のほうだったりと、実力でかなわなくなってきましたね。
人数も多くないし、そんなに強くないチームだったからサード、ショートのレギュラーでしたが。
専門学校時代に野球を断念せざるを得ない病気が発覚
――そして、高校は前編でお話があったように高知中央へ進学。投手を始めたのは高校生になってから?
そうです。高校入学当初は(球速)107キロだったのが、最終的に124キロまでなりました。強みは球威です。
球威は指のかかり具合が重要で、自分は中学生のころから毎日お風呂場で拳のグーパー体操を1000回やってて、握力が右53キロ左52キロもあったんです。
――成人女性の平均が25キロから30キロだから確かに強い。しかも、高校時代の写真を見ると上半身などもかなりムキムキですね。
けっこう筋肉がつきやすい体だったと思います。今は昔ほどトレーニングをしていないので、久しぶりに高校時代の友達に会うと「削られたね(痩せた)」と言われます。
たくましい二の腕を見せる高校時代のTikTok動画
――高校卒業後は広島県のMSH医療専門学校という医療系の学校の野球部に入部しました。
高校時代もケガが多くて、整体の勉強をしながら野球も続けられるということで決めました。
将来的には九州ハニーズという女子硬式クラブチームに入るという目標があったんですけど、もし野球ができなくなってもそこで国家資格を取ればつぶしがきくだろうっていう人生設計もあったので。
――しっかり考えてますね。しかし、1年の10月にてんかんが判明。自主退学し、佐賀の実家に戻ることになりました。
昔からたまに倒れることはあったんですが、専門学校時代にひと月に2、3回意識を失うことがあり、これはおかしいと思い病院へ行ったらそう診察されました。
当然、ひとり暮らしは危険ということ、実家に帰ることをお母さんに伝えると「すぐ帰っておいで」って。

――病気が原因で競技から離れなくてはいけないのは辛いですね。
表向き、最後の決め手はてんかんだったんですけど、実はその野球部は野球に関してだけはバカマジメな自分とはちょっと合わなかったのもあります。
それとチームメイトはみんなバイトしてるけど、里乃はお母さんから「夜は危ないから」という理由で止められていて、チームメイトから悪気なく「TikTokで楽に稼げていいね」なんて言われて傷ついたりもして……。
座右の銘は「耐えて勝つ」
――少し孤立感もあったと。
楽しくやろうってチームでしたからね。
しかもそこで大きめの肩のケガをして投げられなくなり、それでも休養なんてしてられないと走り込みすぎて足も故障して……そうやって精神的に自分を追い込んだこともあって、倒れてしまう頻度が増えてしまったのかと。
てんかんと診断されたとき、正直、「これで野球をやめられる」とホッとした気持ちもあったんです。

――そして現在は“野球Girl”インフルエンサーとして活躍してます。
肩のケガは手術しなくてはいけないほどだったんですが、しばらく野球から離れて久しぶりにキャッチボールをしたらかなりよくなってたんです。
「これ、きた」と思いましたね。これが自分の道なんだと。
――というと?
私より野球がうまい人なんてたくさんいる。
そんな私が大好きな野球、特に女子野球にできることってなんだろうと考えたときに、ありがたいことに私にはTikTokで100万人以上のフォロワーがいるので、そこで野球について発信すれば、普及活動になるんじゃないかと思ったんです。

――野球の神様が役割を与えてくれた。
故障しながら競技を続けてたら、きっと野球が嫌いになってたと思うので、そう考えるといい話ですね(笑)。
――ぜひこれからも野球の魅力を広めていってください。さまざまな紆余曲折を乗り越えて現在があるまつりのさん。あなたの座右の銘は?
「耐えて勝つ」です!
高校時代、自分はめっちゃうまかったわけじゃないから課題を野球ノートに書いて、それを先生に渡していました。すると、先生が一言書いて戻してくれるんですが、あるときこの言葉が書かれていました。高校野球の名門、明徳義塾の馬淵(史郎)監督の名言らしいんですけどね(笑)。

マイグローブには座右の銘「耐えて勝つ」の刺繍が(撮影/集英社オンライン)
高校時代、休日だって休まずトレーニングしてもいい背番号をもらえなかったとき、倉庫にダッシュしてひとりで泣いたりすることもありましたが、耐えたことでいろんな経験をすることができました。
これからもこの気持ちを忘れずにがんばりたいです!
――いい意味で昭和!(笑)。本日はありがとうございました!

取材・文/武松佑季
集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/神田豊秀
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