専門学校時代に野球を断念せざるを得ない病気が発覚
――そして、高校は前編でお話があったように高知中央へ進学。投手を始めたのは高校生になってから?
そうです。高校入学当初は(球速)107キロだったのが、最終的に124キロまでなりました。強みは球威です。
球威は指のかかり具合が重要で、自分は中学生のころから毎日お風呂場で拳のグーパー体操を1000回やってて、握力が右53キロ左52キロもあったんです。
――成人女性の平均が25キロから30キロだから確かに強い。しかも、高校時代の写真を見ると上半身などもかなりムキムキですね。
けっこう筋肉がつきやすい体だったと思います。今は昔ほどトレーニングをしていないので、久しぶりに高校時代の友達に会うと「削られたね(痩せた)」と言われます。
たくましい二の腕を見せる高校時代のTikTok動画
――高校卒業後は広島県のMSH医療専門学校という医療系の学校の野球部に入部しました。
高校時代もケガが多くて、整体の勉強をしながら野球も続けられるということで決めました。
将来的には九州ハニーズという女子硬式クラブチームに入るという目標があったんですけど、もし野球ができなくなってもそこで国家資格を取ればつぶしがきくだろうっていう人生設計もあったので。
――しっかり考えてますね。しかし、1年の10月にてんかんが判明。自主退学し、佐賀の実家に戻ることになりました。
昔からたまに倒れることはあったんですが、専門学校時代にひと月に2、3回意識を失うことがあり、これはおかしいと思い病院へ行ったらそう診察されました。
当然、ひとり暮らしは危険ということ、実家に帰ることをお母さんに伝えると「すぐ帰っておいで」って。
――病気が原因で競技から離れなくてはいけないのは辛いですね。
表向き、最後の決め手はてんかんだったんですけど、実はその野球部は野球に関してだけはバカマジメな自分とはちょっと合わなかったのもあります。
それとチームメイトはみんなバイトしてるけど、里乃はお母さんから「夜は危ないから」という理由で止められていて、チームメイトから悪気なく「TikTokで楽に稼げていいね」なんて言われて傷ついたりもして……。