――いま、「クズ芸人」と呼ばれる方々が増えています。ナダルさんはその先駆け的な存在だと思うのですが、この状況はどう見ていますか?
昔は僕とクロちゃん(安田大サーカス)くらいだったところから、増えてきましたね。
でもいずれそうなるだろうとは、なんとなくわかってたんです。いうたら真似できる部分ではあるし、僕らがそういう出方をしてたらそうなっていくやろうな、と。「クズやなぁ」とツッコんでもらえるので、わかりやすい手法ではあるんですよね。そこに自分なりの個性をつけたら、それっぽく見える。
でもそれ以外の何かを見つけないとあかんと常に思ってます。
――過去のインタビューで「今クズキャラで売ってますけど、これも寿命あるなって最近思ってる」とおっしゃっていたのが気になっていました。
難しいところなんですけど、僕はクズでいようと思ってるわけじゃなくて「面白いから」が軸なんですよ。真面目に優しくしてても別におもろないから。それやったらズバッと言ったほうが面白いと思ってやってて、その先にクズという評価があるだけなんです。
――本当にクズではないと?(笑)
お笑いをやっていく上で、面白さは絶対いるわけじゃないですか。容姿がいいとか旬とか賞レース獲ったとか、売れ方はいろいろありますけど、そこから残るには根本の面白さが結局いる。そういう部分で、第一線でやっている人と戦える実力が僕にはないから、自分が今持ってる武器の中でいちばん尖らせられるところはどこやろうと考えたときに、「なんでも全部言ってしまう」みたいなところで人と違う部分を一個つくれたと思ってます。
でも後から同じような人も出てくるし、人は刺激に慣れていってしまうんですよね。そうなってきたら、やっぱりお笑いのスキルが必要になってくる。次から次に新しいことやっていかなあかんとはずっと思っていて、そういう意味での“寿命”ですね。引き出しは多いに越したことはないんで。
――引き出しは、増やそうと思って増やせるものですか?
増やそうと思ってできるもんじゃなくても、仕事がちょっとでも増えるんやったら手を出すぞって感じですね。家族を背負ったし、どんな手を使ってでもカネを稼がなあかん(笑)。なりふり構ってられないんです。最初はできなくても、できるようになるかもしれないじゃないですか。
「これ無理や」って思ったらそこで止まってしまうんで。とにかく、常に崖っぷちみたいなイメージはありますね。
――去年の『M-1グランプリ』前後から、また新たな若手芸人の方々がテレビの出演本数を増やしています。
ねぇ、出てきてますよねぇ。
――その中にはいわゆるセンスで評価されている人も多いと感じます。そういう人たちが出てきて、嫉妬を感じることはありますか?
それはめっちゃありますね。テレビで観てて「一緒に並んだら僕どう立ち回るんやろ」とか思います。
でも、その人になれるかというとなれないわけで、「自分やったらこう戦おう」と考えるようにしてますね。お笑いの現場は常に楽しいですけど、楽しんでるだけやと尻すぼみになっていくと思うんです。結果を残せへんようになったら終わりやから。
「俺が倒す」じゃないですけど、基本的にはそういうつもりでやってます。

「最初はハンパない量の誹謗中傷があった」コロチキ・ナダルの“嫌われる勇気”
テレビバラエティでは今、「クズ芸人」と呼ばれる芸人たちが引っ張りだこになっている。この“ジャンル”の先駆け的存在といえば、2016年の「アメトーク!」の企画「ナダル・アンビリバボー」で一躍ブレイクしたコロコロチキチキペッパーズ・ナダルをおいてほかにいない。だが当の本人はクズどころか至って真面目に、次の一手を目指してもがいている最中だという――。
さんますらディスった。本気で嫌われたクズキャラの祖が見据える、この先
コロチキ・ナダルは、本当のクズなのか?


「ナダルやったらそれぐらい言うやろな」のその先へ
――ナダルさんの同期の滝音・秋定さんが「俺、“笑えへんナダル”ってよく言われる」とちょくちょく発言してますよね。「笑えへんナダル」って、わかる気はするけれど実際どういうニュアンスなんだろう? と思っていて。
はいはい。秋定くんに関しては、まだ「ほんまにヤバいな」ってガチっぽく見える部分があるんでしょうね(笑)。僕も昔は本当にめちゃめちゃヤバかったと思います。ただ、先輩方がそこを笑ってくれたことで、「あぁ、これを笑いにしていいんや」と気づかせてもらったところが多々あるんですよ。
――ナダルさんはもう本当にヤバくはない?
最初は笑かし方なんてわからないじゃないですか。たとえば舞台で、みんながボケてボケてボケて積んでいって、自分も絶対ボケなあかん流れなのに「こないだこういうことがあって、それで僕は〜〜」ってただ自慢したいだけの話をしたりしてしまってたんです。
いいように見られたくて、思うがままにやってしまっていて。でもそういうときに先輩たちが「なんの話なん!?」と面白がってくれたんです。そこから「これしたら笑ってもらえんねや、ほな自分でもうちょっとお笑いっぽくしてみよう」と考えられるようになって、わざと変則的にやったりできるようになりました。
――怒られたりはしなかったですか?
直近の先輩たちが優しかったのは大きいですね。少し上の世代の先輩は厳しかったんで「お前が流れを全部台無しにしてんで」みたいに言われることもあったんですけど、一度、コマンダンテの安田さんが「ナダルはそのままでええよ。それは絶対お前の武器になっていくから、ずっとそのままやっていったらいいよ」と言ってくれたんです。それにはすごく救われました。
――同じように「なんだこいつ」と思われていても、一般社会ではなかなか指摘されなかったり逆に否定ばかりされたりで、そのまま嫌われるだけになってしまう人もいると思います。
そうですね。肯定してくれる人も否定してくれる人もいた結果、今「こういうやつなんやな」と思ってもらえてる。厳しく言われたことでマイルドに修正できたところもあったから、言ってくれるのもありがたいし、安田さんみたいに肯定してくれる人がおらんかったらまた全然違うやつになってたかもしれない。
ほんまにいいバランスで劇場で過ごさせてもらったのかなと思います。

エピソードトークを本気でさえぎるヤバさ
――とはいえ、『アメトーーク』の「ナダル・アンビリバボー」(2016年9月1日初回放送)でナダルさんのキャラクターが大きく世に知られたときは、世間からの風当たりはきつかったのでは?
やっぱり最初はすごい嫌われてましたよ。「ナダル・アンビリバボー」は6回くらいやったのかな?
1〜2回目はハンパない量の誹謗中傷がありました。
――どんな反応だったんですか?
「マジでやばいな」「これテレビに映していいのか?」みたいな感じでした。多分、見たことない笑いやったんやと思います。
エピソードトークをさえぎるのって、普通は「いやいや」言いながらも最後まで言わせるじゃないですか。それをほんまに断固として言わさへんって、それまでなかったと思うんで。
それと、先輩の悪口じゃないですけど「さんまさんの笑いはようわからん」なんて今まで言った人がいなかったから、最初は「何言うてんの」ってなりますよね。
だから拒絶の反応が大きかったです。今は浸透して、落ち着きましたけど。
――視聴者がナダルさんに見慣れたことで落ち着いた。
そうですね。これもまた難しいところなんですよ。見慣れてきたら「ナダルやったらそれぐらい言うやろな」になってしまう。そこもやりながら、さらにそれを超える笑いをせなあかん。「ナダルはこういう位置でこういう使い方をする」ってだけじゃなくて、ちゃんと仕事の幅を広げようと考えてます。
――こうしてお話をうかがっていると、テレビから受ける印象とはだいぶ違うと感じます。すごく真面目ですよね。
そうですね。だから相方が羨ましいです。スベろうがスベらなかろうが関係なしでいられるんですよ。僕もそうなりたいと思ってメンタルづくりをしてるんですけど、持って生まれたものなのか、なかなか難しいです。
でもその分、毎回「こうしたらもっと面白かったのに」とか考えることができるんですよね。しんどいですけど、課題を持つことができる。本当は持ちたくないし楽して生きたいですけど、そうやって考え続けるという意味では、小心者であることは必ずしもマイナスではないどころかプラスに働くこともあると思います。何も気にしなかったらそこで終わってしまいますから。

撮影/松木宏祐 取材・文/斎藤岬
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