「ロードショー」の常連となるふたりのアイドルが表紙に初登場している。まずは、いまも人気女優として活躍するフランスのソフィー・マルソーだ。13歳のとき、オーディションを勝ち抜いて『ラ・ブーム』(1980)のヒロインに抜擢された彼女は、『ラ・ブーム2』(1982)の公開タイミングで初登場。7月号と11月号で表紙を飾っている。さらに、「パリ発 ソフィーマルソー」(8月号)「ソフィー・マルソーキュートな魅力全公開!」(9月号)「パル独占取材カラー&記事 ソフィー・マルソー『ラ・ブーム2』」(10月号)「パリ発笑顔いっぱいソフィー・マルソー」(11月号)「ソフィー・マルソー パリ快速便!」(12月号)といった特集も組まれている。
ソフィーは、1977年4月号のイザベル・アジャーニ、7月号のアラン・ドロン以来5年ぶりに表紙に起用されたフランス俳優。ファラ・フォーセットやリンゼイ・ワグナー、シェリル・ラッドといったセクシーなアメリカ女性たちのなかにあって、アンニュイな雰囲気で唯一無二のオーラを放っている。最後のフレンチアイドルとでも呼べる存在だ。
もうひとりのアイドルは、当時ブルック・シールズのライバルと目されていたフィービー・ケイツだ。ティーンモデルとして活躍していた彼女は、『パラダイス』(1982)にて19歳で映画デビューし、ショーン・ペンやジェニファー・ジェイソン・リーなどを輩出した青春群像映画『初体験リッジモントハイ』(1982)に出演。いずれの作品でもヌードを披露していることで話題となった。9月号で初めて表紙を飾り、「イスラエル発フィービー・ケイツ」(8月号)「フィービー・ケイツ魅力アルバム」(10月号)「フィービー・ケイツ最新作ばっちり紹介」(12月号)などの特集が組まれている。

人気投票8年連続No.1にしてカバーは1回のみ。ジャッキー・チェン表紙の裏事情
ついについにジャッキー・チェンが表紙に登場。だが、圧倒的な人気を誇っていながら、この1回きりだった理由とは!? 「ロードショー」とジャッキーの深い関係を振り返る。
ロードショー COVER TALK #1982
フランス最後のスター&セクシーアメリカンアイドル、そして日本から?

ここからしばらくブルネット人気が続く。ソフィー&フィービーもしかり。髪も瞳も暗い色だと、日本人にも親しみやすかったのかもしれない。1月号/ファラ・フォーセット 2月号/ブルック・シールズ 3月号/シェリル・ラッド 4月号/クリスティ・マクニコル 5月号/ブルック・シールズ 6月号/シェリル・ラッド
©ロードショー1982年/集英社
さらに、表紙には起用されていないものの3人目のアイドルが存在する。それは、7月号の特集タイトルをみれば明らかだ──「アイドルBIG3 ソフィー・マルソー 薬師丸ひろ子 フィービー・ケイツ」。
そう、日本のアイドルである薬師丸ひろ子が、ソフィー・マルソー、フィービー・ケイツと同列で語られていたのだ。彼女は前年に『セーラー服と機関銃』(1981)が公開され、歌手デビューも飾っていた。1982年は大学受験のために休業していたが、「ロードショー」は「映画も歌も大ヒット!薬師丸ひろ子大特集」(3月号)「カラーグラフ薬師丸ひろ子アゲイン!」(4月号)「旅だより薬師丸ひろ子」(5月号)「髙3です!薬師丸ひろ子」(6月号)「薬師丸ひろ子ニュー・チャーム」(8月号)「ドキュメント薬師丸ひろ子」(10月号)「薬師丸ひろ子主演作チラシ・セット」(12月号)と特集を展開している。当時の角川映画には非常な勢いがあり、その主演女優・薬師丸ひろ子人気は、洋画誌に浸食するほどすさまじかった。
ジャッキーと「ロードショー」の仲
さて、1982年のロードショーにおける最大の事件は、8月号の表紙をジャッキー・チェンが飾ったことだ。「ロードショー」の表紙は女優と相場が決まっていて、男優で表紙を飾ったのは、アラン・ドロン(73年8月号、77年7月号)とジュリアーノ・ジェンマ(1975年1月号)、マーク・ハミル(1980年9月号)の3人しかいない。しかも、マーク・ハミルはキャリー・フィッシャーとのツーショットだったため、単独の男優としてジャッキー・チェンは3人目となる。
アジア俳優としても75年4月のノラ・ミャオ以来の快挙だ。つまり、ジャッキー・チェンはアジア男優としてはじめて「ロードショー」の表紙を飾ったのだ!

7月号/ソフィー・マルソー※初登場 8月号/ジャッキー・チェン※初登場 9月号/フィービー・ケイツ※初登場 10月号/ナスターシャ・キンスキー 11月号/ソフィー・マルソー 12月号/ブルック・シールズ
©ロードショー1982年/集英社
ただし、これは異例の抜擢とは言えない。なにしろ、「ロードショー」には1980年から頻繁に登場し、相思相愛の関係にあった。1982年も、「カラーワイドポスター『龍拳』」(4月号)「香港独占取材 元気だぞ!ジャッキー・チェン」(5月号)本誌の招待で来日「ジャッキー・チェン カラー記事ぴったり密着大特集!」(6月号)「カラー特写 ジャッキー・チェン 大和路おもいでめぐり」(7月号)「ジャッキー・チェン大好き人間ワイワイ座談会」(11月)「ジャッキー・チェンin香港」(12月号)と、おおいに誌面を賑わせている。
ちなみに、「ロードショー」は読者投票で選ぶ「シネマ大賞」という賞を年に一度開催していた。男優賞に関してはアラン・ドロンが72~75年と4年連続受賞と不動の人気を誇っていた。だが、82年にジャッキー・チェンが初受賞。そして、なんと88年までの7年連続で同賞を受賞。前人未踏の快挙を達成したのだ。ちなみに、82年のシネマ大賞女優賞はソフィー・マルソーが受賞している。
読者にそんなにも支持されたジャッキーだが、表紙はこの1回きり。当時の読者からは「表紙が男性だとガッカリした」という証言もあり、売上にも影響があったのかもしれない。それでも「ロードショー」は賭けに出たし、日本での人気の起爆剤となった雑誌を、ジャッキーは大切にし続けた。歴代の担当とは家族ぐるみでつきあったり、来日の際には必ず食事に招待するなど、蜜月は長く続いたうえ、2008年の休刊の際は、「なぜあんないい雑誌が!」と本気で嘆き悲しんでくれたと聞く。人情に篤い人柄を表すエピソードだ。
なお、次に男優が登場するのは、映画の特別写真を除けば80年代後半。誰かは想像がつくかもしれないが、楽しみにお待ちいただきたい。
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