ジャッキーと「ロードショー」の仲
さて、1982年のロードショーにおける最大の事件は、8月号の表紙をジャッキー・チェンが飾ったことだ。「ロードショー」の表紙は女優と相場が決まっていて、男優で表紙を飾ったのは、アラン・ドロン(73年8月号、77年7月号)とジュリアーノ・ジェンマ(1975年1月号)、マーク・ハミル(1980年9月号)の3人しかいない。しかも、マーク・ハミルはキャリー・フィッシャーとのツーショットだったため、単独の男優としてジャッキー・チェンは3人目となる。
アジア俳優としても75年4月のノラ・ミャオ以来の快挙だ。つまり、ジャッキー・チェンはアジア男優としてはじめて「ロードショー」の表紙を飾ったのだ!
ただし、これは異例の抜擢とは言えない。なにしろ、「ロードショー」には1980年から頻繁に登場し、相思相愛の関係にあった。1982年も、「カラーワイドポスター『龍拳』」(4月号)「香港独占取材 元気だぞ!ジャッキー・チェン」(5月号)本誌の招待で来日「ジャッキー・チェン カラー記事ぴったり密着大特集!」(6月号)「カラー特写 ジャッキー・チェン 大和路おもいでめぐり」(7月号)「ジャッキー・チェン大好き人間ワイワイ座談会」(11月)「ジャッキー・チェンin香港」(12月号)と、おおいに誌面を賑わせている。
ちなみに、「ロードショー」は読者投票で選ぶ「シネマ大賞」という賞を年に一度開催していた。男優賞に関してはアラン・ドロンが72~75年と4年連続受賞と不動の人気を誇っていた。だが、82年にジャッキー・チェンが初受賞。そして、なんと88年までの7年連続で同賞を受賞。前人未踏の快挙を達成したのだ。ちなみに、82年のシネマ大賞女優賞はソフィー・マルソーが受賞している。
読者にそんなにも支持されたジャッキーだが、表紙はこの1回きり。当時の読者からは「表紙が男性だとガッカリした」という証言もあり、売上にも影響があったのかもしれない。それでも「ロードショー」は賭けに出たし、日本での人気の起爆剤となった雑誌を、ジャッキーは大切にし続けた。歴代の担当とは家族ぐるみでつきあったり、来日の際には必ず食事に招待するなど、蜜月は長く続いたうえ、2008年の休刊の際は、「なぜあんないい雑誌が!」と本気で嘆き悲しんでくれたと聞く。人情に篤い人柄を表すエピソードだ。
なお、次に男優が登場するのは、映画の特別写真を除けば80年代後半。誰かは想像がつくかもしれないが、楽しみにお待ちいただきたい。