ダイアン・レインとお父さんのいい話

ダイアン・レインはどんな役をやってもうまいハリウッドのトップ女優として、長いキャリアの道を進みます。
前の回で書いたように、私もそのキャリアに沿うように取材をしてきましたから思い出は深いです。

お父さんのバートンさんは、長い間、取材セットアップの間に立ってくれて、詳細なスケジュールを参照しては、その日はダメだけどこっちならと、必ず取材ができるように取り計らってくれました。
時には彼に連絡すると、ダイアンが直接コールバックしてくれるほど。取材の後には一緒にお茶を飲んだりお食事をするのが普通でした。

パブリシストの権限強化。ハリウッドでの取材が“上から目線”に変わったあの日_a
1983年、ダイアンのお父さんバートンさんと

もともとはニューヨークで演劇関係の仕事をしていたそうですが、最初に会ったころに、「本当は演技を教える仕事につきたいんだけど、必要な資格がないから、タクシーの運転手をしてるんだ」と教えてくれました。
しかし、何年か後には、「ダイアンが学校を修了する費用を出してくれて、今はNYの市立大学で教えてる」と、幸せそうでした。

何度か来日して、日本でも根強い人気があったダイアンが、子育てに専念して映画出演から遠のいていた時期を経て、しばらくぶりに『トスカーナの休日』(2003)のインタビューで再会したときは、まっさきに「“ロードショー”の皆さん、お元気ですか?」と聞いてくれました。
その前の年にバートンさんが亡くなっていたので、「お父さんの冥福を祈ってます」と伝えたら、「そうなの。とても残念だわ」と悲しそうでした。
彼女にとっても「ロードショー」はいろいろな思い出とつながってると思います。

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2003年、ハグで久々の再会を喜ぶダイアンと中島さん
©HFPA

「ロードショー」がハリウッドでパワーを持てた秘密の理由

ある時期には、「ロードショー」というのが裏の意味を持っていたこともありました。
グループインタビューのために撮影現場に行ったときに、「なんか変?」と感じたのです。それは『セント・エルモス・ファイアー』(1985)という青春映画で、デミ・ムーア、ロブ・ロウ、エミリオ・エステベスらと共に人気になった、アンドリュー・マッカーシーの取材。
現場に現れた彼に、マネジャーが私を「“例の”ロードショーのライターよ」と紹介したのです。
あれ?と思ったのを覚えています。ほかの記者たちに「きみがそんなに有名だとは知らなかった」とからかわれたくらい。

“例のロードショー”の意味がわかったのはしばらくしてから。
アメリカでは当時、ハリウッドのスターたちはテレビCMには絶対に出ないという、変なプライドがあったのです。CMどころか、15年ほど前までは映画俳優/TV俳優に、はっきりした線引きがあり、ドラマにだって出なかった。
しかし、日本のCMはアメリカでは放映されませんから、それに出演することは映画俳優たちにとって、いいおこづかい稼ぎ。そして、CMを制作する広告代理店は、「ロードショー」の毎月の人気投票を参考にキャスティングしている。つまり、「ロードショー」の人気番付にランクインすると、CMの声がかかるというのが業界内の噂だったのです。

2日ほどの撮影で破格のギャランティ、日本でしかオンエアされないから、バカにされることもない。ハリウッド・スターには安全・高額のアルバイトだったんですね。
思い返せば、1980~1990年代はかなりのスターが日本のCMに出ていましたよね。“例のロードショー” と紹介されたのも納得です。

パブリシストの権限強化。ハリウッドでの取材が“上から目線”に変わったあの日_c
『セント・エルモス・ファイアー』より。マッカーシー(前列右)もデミ・ムーアもロブ・ロウもその後日本のビールやシャンプーのCMに起用された
Everett Collection/amanaimages