そのエジプト人は、のちの…
そんな時期の取材は、気楽で楽しくて。なかでも、ホラーコメディ『フライトナイト2/バンパイヤの逆襲』(1988)で、アメリカより日本で人気が出たトレイシー・リンドの取材は最高でした。
このときは日本からロードショー編集長のKさんが来米するということでトレイシーも張り切ってくれて、どうぞどうぞマリブの自宅へと、彼女の海辺の素敵な家へ招待してくれました。カメラマンも張り切り、美しい写真がたくさん撮れました。ランチまでいただいて、ぼちぼち終わりにしましょうというときに、彼氏が帰宅。トレイシーが、「今晩私たちハリウッドのチャリティ・イベントに行くんだけど、一緒に行かない?」と言うのです。
「ええ? はい、よろしければご一緒させてください!」と、準備されたリムジンに乗り込みました。
よく映画にも出てくるウエスト・ハリウッドの有名レストラン「The Ivy」で夕食をもごちそうになって、華やかなハリウッドセレブ大集合のチャリティ・イベントに同行させてもらって。
紹介されたボーイフレンドは、無口でハンサムなエジプト人でした。
名前はドディ・アルファイド。のちに、英国のダイアナ元妃の恋人となって、パリで一緒に交通事故で亡くなったあの人でした。
本当にいろいろな“未知との遭遇”をもたらしてくれた「ロードショー」です。
ハリウッドのパワーゲームに巻き込まれて
「ロードショー」との長い関係の中で嫌な思いはほとんどしたことがなかったのですが、やがてマネジャーとかパブリシスト(PR担当者)と呼ばれる人たちが、スムーズな取材を妨げるようなことが増えていきました。ハリウッドが変わったなあと思った瞬間…あれは2000年代初め、イライジャ・ウッドの取材のときです。
準備完璧、あとは本番を待つだけという、取材3日前に、パブリシストから電話がありました。撮影用にカジュアルなファッションを揃えたと聞いたけど、それではだめ、デザイナーズスーツを揃えなさい、でなければ取材させないと言うのです! 大変だとスタイリストが走り回って高価なスーツを揃えてくれました。
そして当日の朝、イライジャが現れました。
撮影用衣類を並べてある部屋に入ってくると、「このスーツ誰が着るの?」と聞くのです。
「僕がスーツ着てるの見たことある?」と笑っていました。小柄でベビーフェイスの彼が、スーツなんか着たらいい写真が撮れないかも…とやきもき心配したのが、嘘のようでした。
本人の意向ではなく、事務所VSメディアのパワーゲームで威嚇され、命令されたのは、このときが初めてでした。
それが、取材をやりにくくする無意味なコントロール時代の始まり。以来、世の中が複雑化し、メディアのあり方も多様化し、問題も増えて、スターの防波堤の役目をするパブリシストの権力は強化されるばかりで、今ではハリウッドでは“取材させてあげる”という上から目線の態度がまかり通っています。
<ワン・オン・ワン>と呼ばれる1対1のインタビュー自体もほとんど期待できなくなりました。
それでも振り返ってみれば、「ロードショー」との30年以上にわたる関わりは、普通なら会えない人々との遭遇につながり、無限に広がる映画の世界へといざなってくれたのです。見る側も、豊かな人生を目指して自分自身を磨いていかないと、映画の中の隠し味を見逃してしまうということも悟りました。
また、映画とそれを通して出会った人たちから、国境も言語の壁も乗り越えて、人間は皆同じように愛を求め、愛に振り回され、愛の喪失に悩み、どんな終わり方にもめげず再び愛を求めて歩き出すのだと教えられました。
そんな思いを胸に、今日も私は映画の取材を続けているのです。