過去の自分と、点において平等。又吉直樹が考える時間と人間 はこちらから

「42歳で、付き合うとか付き合わへんとか言ってていいのか」自分の抱えるテーマと実年齢が10年くらいズレている…。未だ青春期を引きずる又吉直樹にとっての「大人」とは_1
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――『東京百景』以来、約10年ぶりとなるエッセイ集『月と散文』を刊行されました。全360ページと、かなりのボリュームですね。

溜まっていた原稿を本当に全部合わせたら200本超えてて。エッセイだけでも長いものが80本くらい、短いのも同じくらいあったので、どうしても大きくなっちゃいましたね。

――オフィシャルコミュニティサイト「月と散文」上で連載されていたものをベースにしながら、巻末に「単行本化にあたり大幅に修正・加筆を行いました」と断り書きがあります。連載をまとめた書籍によく添えられる文言ですが、エッセイだと珍しいように思います。

そうですね。連載がまとまったエッセイ集というと、そのままのものが多いと思うんですけど、かなり改造しました。

そのまま採用したのが30本くらいで、他は書いたものを並べて「これとこれは言いたいことが重複してるからどっちかにしよう」「これとこれは合わせよう」とかしていったり、「最初書いたときはここまでで止めてたけど、もっと掘っていったほうが面白くなるんじゃないか」って手を入れてたら倍になったり。

そういう加筆と再構成ですね。もともと多かったのに、この本で初めて書いたのも10本以上あります。

毎週書いてるもんやし、エッセイっていわゆる散文なんで、日記・日誌的な側面も日によってはあるんです。

だからその時々のメンタルに左右されて結構ネガティブな終わり方になってることもあって、読み返したときに、僕ももう42歳なんで「本当にこれでいいのか、もう一歩先があるんじゃないか」と考えて書き直したものもありました。

――今、「僕ももう42歳なんで」とおっしゃっていましたが、本書の中でもたびたびご自身のことを「中年男性」と称されていますよね。自分をそう形容するようになったのは何歳くらいの頃からですか?

体感としては37〜38歳くらいですかね。「中年」って言葉の意味としては30代なかばくらい、もっと早くてもいいのかもしれないですけど、僕の感覚としてはそれぐらいから中年期という感じです。

多分、なんでそういう言い方をしてるかというと、僕が自分で考えているテーマや課題と実際の年齢が、恥ずかしながらマッチしてないと感じているからだと思います。

10年ぐらいズレているんじゃないのかな。『火花』という小説を書いたのが34歳なんですけど、あれは20代から30歳ぐらいまでの物語で、それを振り返ってるんですよね。

その次に書いた『劇場』にしろ、20代のときに考えていたことを、客観視もしてるけど未だにそこに主観も混ざってるような感じなんです。

だから「ええ歳した大人が」ってちょっと自分では思っていて。38歳くらいから、さすがにもうちょっと次のステージというか主題を探したいっていうのはずっとあるんですよね。