42歳で付き合うとか付き合わへんとか言ってていいのか
――「10年くらいズレてるんじゃないか」と感じ始めたのが38歳ぐらいだった、ということですか?
34歳で『火花』を書いたときも「ギリやな」と思って、『劇場』も「ギリやな」、次に『人間』を書いたときに「ここで一回、青春時代のこういう鬱屈とした感情を総決算しよう」と思って。
でも実際には、その後も何か書こうと思うとそういうのがまだ出てくるんで、完全に脱皮はできていないんですよね。
そうやって次に移行するまでの自分を「中年男性」と言うことでやりやすくなるかな、ということだと思います。
――あえてそう称することで、何か変わるものがあるのではないかと。
はい。いわゆる、おっさんになっても学ラン着てるタイプの表現者もいると思うんですけど、僕の場合は自分で「もう学ラン着てちゃダメですよね、わかってますよ」っていう……。
「わかってるけどやってしまうことがある、けどここから多分変わっていくんだと思います」みたいな感覚ですね。
――お話をうかがっていると、又吉さんは自分のことを「大人」であり「青春期を脱した」とはまだ思っていないところがあるんでしょうか。
青春期は……絶対脱しておかないとダメですけど、まだ若干引きずってるかなとは思ってます。「引きずってる場合じゃないやろ」と思ってるんですけどね。
理屈ではわかってて、同世代や先輩と話してて我に返る瞬間もありますし。誰かと付き合う付き合わへんみたいな話をしてて、ふと「42で付き合うとか付き合わへんとかあるんでしたっけ?」って(笑)。
そういうのは20代ぐらいの話で、いつまでもこんなこと言ってるのもダメなんだろうなと気づいてはいるんですけど。
選挙権もありますし、もちろん間違いなく大人ではあるんですよね。でもまだまだ未熟な部分が多いなと自分では思ってます。
――それはお仕事に関してですか?
仕事は最悪、未熟でもいいと思うんですよ。20代だから許されて面白くなる失敗ももちろんあるんですけど、お笑いに関しては「芸歴25年目になるからうまくやろう」とかはあんまり思わないです。それはもうしょうがないことなんで。
でも、それ以外の部分で未熟なのはあんまり良くないなと。周りに迷惑かけるんで。
例えば「今までお付き合いした人と別れた理由はなんですか?」って聞かれたら、僕はフラれることが多いんですけど、それはやっぱり自分が未熟やったり何かおかしいところがあったりが原因なんですよね。
それはちょっとどうなのかな、って思ってて。人によって考え方は違うと思うんですけど、僕はこのままでいいとはまったく思わないし、早く成長したいと思ってます。
だから、仕事と実生活ではモードが違うんですかね。ただ、モードは違うけど両方未熟というところでは一致してしまっているのが現状、って自己評価です。