【幼少期の写真あり】ラブライブ声優・青山なぎさが綴る、声優になるまでの人生。教師に対抗するために入った軽音部、いじめと戦った日々_3
幼少期から歌が好きで、家族とカラオケに行っていた

中学の教師に対抗してバンド活動を始める!?

少し時間をさかのぼりますが、中学1年生のお正月、初めてONE OK ROCKの『キミシダイ列車』を聞き見事にロックに目覚めた私は、軽音楽部に所属しギターとサブボーカルを始めました。

まだクラシックバレエも続けていた時期です。制服姿でギターを背負いながらバレエのお団子をしている姿を想像すると、情報量が多くて面白いですね。

そしてこの頃、私は絶賛反抗期。バンドを始めたきっかけを思い出そうとしていたら、親戚から面白いタレコミがありました。なんと中学の卒業文集にもそのことが書いてありました。

私が通っていた中学校は伝統を大切にしている厳しい学校だったので、バンドにはあまりよくないイメージを抱いている先生がいました。

私はちょうどその時期に学級委員をやっていたので、「あなたに期待していますよ」「あなたはしっかりしていますね」と言われることが多く、みんな頑張っているのにどうして私だけにそんなことを言うのだろうと疑問を抱くと共に、生徒に対して平等に接してほしいという思いが強くなっていた時期。

期待をしてもらえることは嬉しいのですが、幼い頃から正義感の強い私は、理不尽なことをスルーできない性格でした。

私に期待をしてくれていた先生が、軽音楽部はこの学校に相応しくないという趣旨の発言をしたことをきっかけに、私はその先生への対抗心で軽音楽部に入部しました。軽音楽部が悪いわけではない、私がその印象を変えてみせる、そんな想いを胸に。

そのことを卒業文集に書いてしまう私、厨二病満載で読み返すと面白すぎます。よく掲載の許可が降りたなと驚いています。

私のいいところでもあり、ときには裏目に出てしまう正義感の強さによって、人と衝突することも多かったです。私はどんな理由があろうといじめを許すことができないタイプでした。

中学生の頃、いじめられていた友達を庇ったことでいじめの標的が私になり、「学校に行きたくない」と悔しくて布団の中で泣いていた時期もありました。それでも、学校で泣いたり悪口を言ったりしたら、いじめている人達の思う壺だということは理解していたので、何を言われても気にしないふりをしていました。