「単独無酸素」にこだわる理由

2002年の暮れから2003年の正月にかけての1週間、栗城さんはそのG先輩と一緒に、札幌市南区と喜茂別町の境にある中山峠から、小樽の銭函までの60キロを縦走した。『初めての命がけの登山』と栗城さんは書いている。

『縦走五日目。今回の縦走ルートの一番の難所、余市岳の壁を登っていく。風は今までで一番強い。(中略)「もうダメです」と口にしても主将は僕を振り向くことなく、励ましの言葉もかけてくれない。主将はアドレナリンが出てきたのか、奇声を発し、登っていく。もう人間じゃない』(『一歩を越える勇気』2009年・サンマーク出版)

「二度とやるものか」と縦走中は参加したことを後悔したが、ゴールである銭函の海を目にしたとたん、何とも言えぬ達成感と充実感で胸が満たされたという。

栗城さんは以後、G先輩を師と仰ぎ、登山の経験を積んでいく。

私は、彼が掲げる『単独無酸素での七大陸最高峰登頂』に質問を移した。

「成功したら、日本人初なんですね?」

「はい。世界でも(ラインホルト・)メスナーさんというイタリアの人が達成しただけです」

「じゃあ、史上2人目ですか?」

栗城さんがパフェのアイスクリームを口の中で溶かしながら、照れたように頷く。その仕草が何ともかわいらしくて、今も鮮明に覚えている。

「単独無酸素、ということですが、まず、なぜ単独なんです?」

「山と一対一で向き合いたいんですよね。全身全霊で山を感じたいっていうか。山って、登れば登るほどその大きさを教えてくれるんですよ。同時に人間の小ささもわかってきて。ボクは山に登るたびに自分自身が謙虚になっていく実感があります」

目の前に山があるかのような厳かな話しぶりに、私は感じ入った。

「では、酸素ボンベを使わない理由は?」

途端に、栗城さんの声が裏返った。

「いやあ、酸素ボンベって一人で持って上がるには重いでしょう? 単独だとかえってキツイし。何より1本2万円近くするんですよ。買えないな、と最初から諦めて、これまで我慢してボンベなしで登ってきました。ドM(マゾヒスト)なのかもしれません。フフフ」

柔術家の気高さを漂わせたかと思えば、一転、自虐ネタを投げてくる。話していて飽きることがなかった。