失恋がきっかけで登山の道に
栗城さんは2009年ごろまで、ホームページなどで「小さな登山家」と自称していた。身長は162センチで、体重は60キロ前後。聞けば中学時代は野球部に所属したが3年間ずっと補欠。高校では空手部に入ったが、体が硬く基本の股割り(股関節を広げる動き)さえ満足にできなかったという。体は小さく、運動能力が高いわけでもないらしい。
6つの大陸の最高峰に登頂した力の源はどこにあるのか?
「うーん、自分でもわからないんですけど、強いて言えば精神力ですかねえ」
「根性で登ると?」
「根性とは少し意味が違うんですけど。ボクは登っているときいつも、ありがとう、ありがとう、って感謝しながら、時には口にしながら登っています。マイナスなことは一切考えないんですよ。ボクが考えなくても、登れるかどうかは山が決めてくれますから」
「登山は、心の持ちよう、ってことですか?」
「心と体はつながっているので、ボクはヨガの腹式呼吸を時々交えながら登っています。3秒吸って、2秒止めて、15秒かけて吐く。ありがとう、苦しみをありがとう、この先には喜びが待っている、ありがとう、って。まあ、一種の自己暗示ですけど」
400戦無敗の柔術家ヒクソン・グレイシー氏の顔が浮かんだ。ヒクソン氏もヨガを実践し、どんな難敵を前にしても冷静だった。
「そもそも、登山を始めたきっかけは何ですか?」
「高校生のときにつきあっていた彼女が山に登る人だったんです。でも、フラれちゃって」
彼はそこで言葉を区切ると、ニッコリして私の反応を待った。
「もしかして、その彼女を見返してやろうと?」
栗城さんは「はい」と大きく頷いた。
「それともう一つ、なぜ山になんか登っていたんだろう? って彼女の気持ちを知りたくなったんです」
「ひきずるタイプなんですね?」
「女々しいんです、ボク」
ハハハハ、と2人同時に笑った。この失恋話は彼が講演で必ず披露するエピソードだ。
きっかけは彼女だったとしても、一過性で終わらず山にのめり込んだのには、それなりの理由があったはずだ。他にもスポーツはある。登山のどんなところが魅力だったのか?
「そうですねえ。大学の先輩が真夏でも冬山用の服を着ている変な人だったんですよ。そのくせ足元は便所サンダル履いてたりして。無口で、哲学の本とか読んでる人で、最初は、気持ち悪いなこの人、って思ってたんですけど、だんだんかっこよく見えてきちゃって」
「元カノよりも先輩が好きになっちゃったんですね?」
私の冗談に、栗城さんは幼子のようにあどけない顔で笑った。
「決定的だったのは、1年生のときに2人で行った年越しの冬山ですね」
栗城さんが自らの著書の中でも触れ、講演でもたびたび話す登山体験である。