社会の原理が賭けられたロシア=
ウクライナ戦争をどう考えるか?
ロシア=ウクライナ戦争によって世界の見え方が変わった。それはこの戦争に社会の原理が賭けられているからだと橋爪と大澤はいう。たとえば法の支配がそうである。ロシアの戦争は法の支配を否定しているのだ。対立の背後には歴史の違いがある。西欧・米国、イスラーム世界、中国、日本との比較によって、ロシアの位置が明らかになる。鍵となるのは宗教だ。西欧と米国では、国家と教会が距離をおいた結果、そのいずれとも異なる政治・社会の主体として「法人」概念が生まれた。国家と教会が密着したロシアには、その余地はなかった。「法人」概念は個人の権力を超えて、抽象的なルールを重んじる秩序を導いた。
本書は二人の社会学者による、現代世界に関する五度の討論である。アフガニスタン、中国と論じたところでロシアの侵攻が起こり、そこからはリアルタイムで事態を追う。徐々に浮かび上がるのは、ウクライナを支援する米国・西欧への諸地域の反発である。これは先進諸国の価値観の押し付けや欺瞞によるところが大きい。しかし、自己の原理で自己批判できるところが米国・西欧的な原理の強みだと、二人ははっきりと述べる。
もうひとつ浮かび上がるのは中国である。リベラルな秩序と資本主義の発展を両輪とする従来の見方からすれば、どちらもうまくいかなかったロシアは理解の枠内にある。他方、中国は非リベラルでありながら資本主義に成功した新現象であり、リベラル資本主義側を不安にさせている。私的所有の否定はあらゆる物資を動員可能な資源にした、これがグローバル化時代の成長の前提となったという二人の中国論は刺激的だ。非リベラルな中国経済への依存を前提にし続けてはならないという点で二人は一致するが、橋爪はリベラル・デモクラシーを採る決意を強く打ち出し、大澤は一度立ち止まってから踏み出す。この違いは討論をいっそう魅力的にする。なぜなら、どちらの姿勢も私たちに必要なものだからだ。